栃木県足利市の古墳
■正善寺古墳 【管理人推薦】
足利市常見町にあり、墳丘上に正善寺が建っています。寺と墓地とで墳丘はかなり改変されていますが、本来は、全長100mほどの基壇上に築かれた全長88m、後円部径32m、前方部幅38mの前方後円墳で、周溝もあったらしいです。後円部南側に割石積みの横穴式石室が開口。全長7.5m、玄室長5.7m、幅2.15m、高さ1.7m、羨道長1.8m、幅1.15m、高さ1.1mの両袖式ですが、墳丘規模の割には、しょぼい印象です。
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足利市山川町の公園内に復元整備されて公開されています。径45mの円墳で、三段築成、周溝が巡ります。埋葬施設は南に開口する横穴式石室で、推定全長8.7m、玄室長5.3m、幅2.7m、高さ2.5mの両袖式です。奥壁に巨大な鏡石を据え、側壁はチャートの割石を乱石積みしています。
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現在、口明塚古墳のある公園内に石室が移築されていますが、元は東450mのところにありました。径53m、二段築成の円墳で、周溝が巡り、斜面にはチャートの葺石がありました。横穴式石室は全長9.1m、幅2.7m、高さ1.5m以上の規模で、市内では最大規模です。口明塚に先行する古墳と思われます。
足利市本城三丁目・西宮町、織姫山(機神山)の山頂にあります。一帯は公園になっていて、車で近くまで行くことができます(駐車場有り)。全長36m、後円部径19mの前方後円墳で、埋葬施設は割石で築かれた横穴式石室が南に開口しています。全長8.8m、玄室幅2.3m、高さ1.6mの無袖式で、やや胴張り状です。明治年間に発掘調査され、出土品から六世紀中頃の築造と推定されています。
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足利市本城三丁目、機神山山頂古墳の北東尾根上にある全長38m、後円部径20mの前方後円墳で、未調査のため、詳細は不明ですが、採取された埴輪片から機神山山頂古墳に先行する古墳と推定されています。
織姫山山頂へ登る道路の途中に小さな横穴式石室(機神山17号墳)が露出しています。道路を挟んで斜面下方にも石材の露出したマウンドがあります。
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足利市緑町の丘陵上にある足利公園内にあり、前方後円墳1、円墳9基が現存しています。明治19年に、公園造成に先だって、1〜3号墳が発掘調査されましたが、これが近代考古学における最初の発掘調査として、学史上著名な古墳群です。現在は、1、3、5号墳の横穴式石室が見学できます。
所々にある二重円が消滅古墳
◆3号墳 【市史跡】
明治19年に、公園造成時に発見され、地元の民間人によって最初に発掘調査された古墳と言われています。最高所にあり、平成五年の調査により、全長34m、二段築成の前方後円墳と判明しました。二段築成、河原石の葺石を持ち、テラスには小さな石が敷かれ、円筒埴輪が並んでいました。墳頂には形象埴輪が立てられていたようです。主体部は南東に向いた横穴式石室で、全長7.9m、玄室長3.3m、幅1.8m、高さ2.1mの両袖式で、奥壁はチャート巨石の二段積み、側壁は割石を積んでいます。六世紀中頃の築造で、この古墳の調査を契機として、1、2号墳が坪井正五郎博士により調査されました。
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◆1号墳 【市史跡】
明治19年に、坪井正五郎博士により調査された古墳と考えられています。丘陵の南東端にある径16mの円墳で、二段築成、河原石の葺石が巡り、埴輪が並べられていましたが、山側の一段目葺石と埴輪は省略されていました。主体部は横穴式石室で、全長3.5m以上、高さ1.75mの無袖式、奥壁と天井石はチャート、側壁は河原石を積んでいます。七世紀前半頃の築造です。
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◆2号墳
1号墳と同時に、明治19年に、坪井正五郎博士により調査された古墳と考えられています。径21mの円墳ですが、上部を破壊され、石室は埋められています。
右下に7号墳が見えている
◆5号墳
2号墳と3号墳の間にある円墳です。現状で径15mほどの円墳で、主体部は横穴式石室が東向きに開口。現存長4mほどの無袖式です。側壁はチャートと河原石を混在させています。
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足利市小曽根町の永宝寺境内にあります。全長48m、後円部径20mの前方後円墳ですが、周囲をかなり削られています。本堂の裏に横穴式石室が開口、全長4.25m、幅1.45m、高さ1.45mの無袖式で、奧ほど幅が広い羽子板形です。奥壁は1枚石、側壁は割石の乱石積みで、閉塞石も一部残されていますが、ひょっとしたら玄室が一段低くなっているのかもしれません。石室は普段施錠されていて、見学は教育委員会に申し込みが必要ですが、住職さんがブツブツ言いながらも懐中電灯持参で鍵を開けていただいて感謝です。
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