京都府綾部市久田山古墳群


久田山古墳群

 綾部市里町、下八田町、味方町にまたがる由良川北岸の丘陵上に分布する大群集墳で、11支群、90基以上の古墳からなり、時代も弥生後期から古墳終末期まで長期間にわたって、多用な形態の古墳が築かれています。

 H支群

 丘陵南西端に分布する10基からなります。綾部市文化会館と天文館パオの建設でほとんど破壊され、現在は天文館の隣りにH1号墳が保存されています。長さ25mの帆立貝式古墳で、五世紀頃の築造と思われます。

天文館から眺めた墳丘

前方部か?

 K支群

 京セラの工場西側の小丘陵上に分布する5基からなる支群で、2002年に南側の市道建設に伴う調査で4基が調査され、消滅しました。調査されたのは三世紀後半の方墳2、四世紀の長方形墳1、五世紀の円墳1で、うち長方形墳は22m×12.5mの規模で、首長クラスの墓と思われ、平地の菖蒲塚、聖塚古墳とのつながりが窺えます。

五世紀の円墳

古墳からの由良川の眺め

 B支群

 京セラ工場北側の丘陵南斜面に分布するB支群は横穴式石室墳27、木棺直葬墳3、土壙墓1からなり、2009年度に調査され、全容が明らかになりました。北西端にある1号墳は径20mの円墳で、横穴式石室は全長8.5m、玄室長4.2m、幅2.1mの両袖式です。玄室床面は礫敷き、石室上部の石材がぬかれています。鉄製品、アクセサリーなど出土品が多数出ています。南となりの2号墳は、径20mの円墳で、支群では唯一、未盗掘の横穴式石室が完存していました。全長9.8m、玄室4.5m、幅2.3m、高さ3m、羨道幅1.5mの両袖式で、石材は全体に小さく、玄室床面には礫が敷き詰められていました。鏡、馬具、鉄製品、玉類、貝殻、土器など副葬品が多数出土し、人骨も一部残っていました。

1号墳石室奥壁

1号墳石室奥から

2号墳の墳丘(公開時の様子)

2号墳石室正面、手前は前庭状

2号墳石室羨道

2号墳玄室奥壁

 3号墳は径13mの円墳で、主体部は4.5m×1.8mの土壙に木棺直葬です。4号墳も径12mの円墳で、主体部は3.8m×1.5mの墓壙に木棺直葬です。5号墳は径13mの円墳で、主体部は横穴式石室ですが、石材はほとんど抜き取られていました。6号墳は径13mの造出付円墳で、裾に列石が残っています。横穴式石室は全長6m以上、幅1.6mの無袖式です。

3号墳、木棺直葬

4号墳、木棺直葬

5号墳、横穴式石室

6号墳墳丘裾の列石

6号墳石室

6号墳玄室奥から

 7号墳は径13mの円墳で、墳丘周囲に列石が巡ります。主体部は6m以上×1.5mの無袖式横穴式石室です。8号墳は径23mの最大の円墳で、周囲に列石が巡ります。横穴式石室は玄室長5m、幅2.2m、羨道長5m以上、幅1.5mの両袖式で、玄室には礫が敷き詰められていました。多数の副葬品が出土し、人骨の一部が残っていました。

7号墳、墳丘まわりの列石

7号墳、石室正面

7号墳、石室奧から

8号墳石室正面

8号墳石室奥壁

8号墳玄室奥から

 9号墳は径20mの円墳で、墳丘周囲に列石が巡ります。主体部は8m以上×1.8mの無袖式横穴式石室で、奥壁に1枚残された巨石が印象的です。10号墳は径8mの円墳で、3.3m×1.5mの墓壙に木棺直葬です。11号墳は径13mの円墳でしたが、墳丘も石室もほとんど消滅していました。12号墳は径13mの円墳で、周囲に列石が巡ります。横穴式石室は7m×1.5mの無袖式で、石材はかなり抜かれていました。30号墳は10号墳のとなりの調査地端っこで小さな横穴式石室の基底部だけが見つかり、墳丘は完全に消滅していました。13号墳は径14mの円墳で列石が巡ります。横穴式石室はほとんど石材が抜かれていましたが、全長7mの両袖式で、床面には礫が敷かれていました。

9号墳、石室奥壁

9号墳、石室奥から

10号墳、木棺直葬

11号墳、石室の痕跡

12号墳、石室正面と列石

12号墳、石室奥壁

12号墳、石室奥から

30号墳、石室

13号墳、石室奧から

 13号墳から小さな谷間を挟んで東側には、ほぼ三列に古墳が並んで密集しています。最も下側には23〜29号墳が並んでいます。13号墳東側の23号墳は石室が完全に失われ、石材が少しと墳丘だけが残っていました。24号墳は墳丘、石室ともほとんど消滅し、石室の一部だけが残っています。奥壁の巨石が1個だけ残っています。25号墳も墳丘は失われ、長さ3.4m以上の石室の基底部だけが残っています。床面には礫が敷かれています。26号墳も墳丘は無く、5.3m×1.3mの細長い無袖式石室の一部が検出されました。

23号墳、ほとんど墳丘のみ

24号墳、大きな奥壁材だけが印象的

25号墳、石室基底部は良好に残る

26号墳、石室正面

 27号墳は墳丘が完全に失われ、石室も残存長1.98m、幅1.2mほどの大きさで、一部石材が残るだけでした。群の東端にある28号墳も墳丘、石室ともほとんど消滅し、わずかな石材が残るのみです。29号墳も墳丘は失われ、長さ3.4m以上の石室の基底部だけが残っています。床面には礫が敷かれています。26号墳も墳丘は無く、5.3m×1.3mの細長い無袖式石室の一部が検出されました。29号墳は、墳丘は失われていますが、石室は下半分が良く残っていました。残存長4.63m、玄室は2.61m×1.27mの細長い左片袖式で、床面には礫が敷き詰められています。

27号墳、石室がわずかに残る

28号墳、ほとんど石室の痕跡のみ

29号墳、細長い石室

29号墳、玄室横から

 三列に並ぶ古墳のうち、真ん中の列にある18号墳は径13mの円墳で、裾に列石が巡ります。横穴式石室は側壁のみ残っていて、全長6.54m、玄室は3.46m×1.14mの無袖式です。となりの19号墳は径16mの円墳で、列石の残りも良好です。比較的大きな石室は側壁と、天井石が1個残存。全長8.82m、玄室は4.16m×1.43mの無袖式で、床面には玄室から羨道まで礫が残り、側壁は正面でカーブを描いてそのまま墳丘裾の列石に繋がっています。

18号墳、石室奥壁方向

18号墳、石室奧から

19号墳石室正面、石室入口のカーブが美しい

19号墳、羨道

19号墳、玄室奥壁

19号墳、玄室奧から

 19号墳と隣接する20号墳は径18mの円墳で、裾に列石が巡ります。横穴式石室は側壁のみ残っていて、全長8.35m、玄室は3.6m×1.73mの両袖式で、隣の19号墳とほぼ同規模です。床面には礫が敷き詰められています。となりの21号墳は径13mの円墳で、列石が巡ります。石室は側壁のみで、羨道部が失われていますが、残存長4.48m、玄室は2.58m×1.11mの左片袖式と思われ、床面の礫が綺麗に残っています。

20号墳、石室奥壁

20号墳、石室奧から、両袖式

20号墳墳丘背後の列石、石垣に近い

21号墳、石室正面

21号墳、玄室奥壁

21号墳、玄室奧から

 16、17号墳は、墳丘の一部を重複させて築かれています。16号墳は径8mの円墳で列石が巡り、横穴式石室は奧、側壁の一部が残っています。全長5.77m以上、玄室は2.46m×1.05mのほとんど無袖式で、床面には礫の一部が残っています。双室墳のような17号墳は径8mの円墳で列石が巡ります。石室は玄室が完全に失われ、羨道の側壁だけが残っています。残存長3.12m、羨道幅1mです。22号墳は径10mの円墳で、列石が巡ります。石室は一部の奧、側壁だけが残り、全長7.55m、床面には礫が良好に残っています。

16号墳、石室

16号墳、石室奧から

右が17号墳、左が16号墳

17号墳、石室羨道側壁

22号墳

22号墳、石室奥壁

 三列の内、最上段の14号墳は径12mの円墳で、裾に列石が巡ります。横穴式石室は側壁のみ残っていて、全長7m以上、玄室は4m×1.7mの両袖式です。少し離れて15号墳がありますが、その間は地形が崩れていて、本来はもう1基、古墳があった可能性があります。15号墳は径10mの円墳で、石室は羨道部が失われていますが、残存長7.73m、幅1.5mの無袖式です。

14号墳、墳丘の保存は良い

14号墳、石室奧壁

14号墳石室奧から

14号墳、石室袖部、左側はほとんどない

15号墳、玄室奥壁

15号墳、石室奧から、細長い


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