堂山古墳群史跡広場オープン


大阪府大東市寺川四丁目・堂山古墳群

 2012年4月 史跡広場オープン/大東市立歴史民俗資料館

 

 大東市指定史跡・堂山古墳群は五世紀前半〜七世紀中頃に、大阪平野を見下ろす尾根上に築かれた8基からなる群集墳で、うち、調査された7基が古墳公園として整備公開されました。1号墳は尾根先端に築かれた五世紀前半の円墳、2〜7号墳は六世紀後半〜七世紀中頃に築かれた小円墳で、主体部はすべて横穴式石室です。うち、4号墳は丁字型、3号墳からは須恵質四注式陶棺の破片が出土しました。現地へは水道タンクの下から登り道があります。

 丘陵尾根上に7基分布、この頂部に2号墳、斜面に3〜7号墳、尾根先端に1号墳がある

 尾根先端の1号墳、五世紀前半、岩盤を整形して築かれた径25mの円墳で、円筒埴輪あり、主体部は墓壙に組合式箱型木棺

 2号墳、六世紀末、径18mの円墳で、主体部は横穴式石室だが、墳丘・石室ともほとんど消滅していた

 3号墳、七世紀前半、墳丘は流失、無袖式横穴式石室を検出、須恵質四注式陶棺の破片が出土した。

 4号墳、七世紀中頃、墳丘はすでになく、丁字形の横穴式石室が一部残っていた。玄室長0.6m、幅2.85m。

 5号墳、七世紀前半、6号墳と墳丘を共有、主体部は玄室長2m、羨道長2.6mの横穴式石室で開口部に外護列石あり。

 6号墳、七世紀前半、墳丘はすでになく、無袖式横穴式石室を検出、玄室長1.7m、羨道長2.3m、開口部に外護列石。

 7号墳、六世紀末、墳丘はすでになく、横穴式石室の痕跡のみ検出。玄室幅1.5mくらいと推定


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