兵庫県福崎町の古墳


妙徳山古墳 【管理人特選】【町史跡】

 福崎町東田原の神積寺敷地内にあります。径35m、高さ6mの二段築成の大型円墳で、巨大な横穴式石室が南に開口しています。全長12.4m、玄室長6m、幅約2m、高さ3.2m、羨道長6.4m、高さ2.4mの右片袖式で、播磨でも最大級の玄室規模です。これだけの古墳が町史跡程度とはもったいない。

墳丘もかなり良好に残っている

石室開口部、狭く見えるが、楽々入れます

巨大な玄室、奥壁は巨石2段でまだ余る

玄門、右片袖式


ビワクビ古墳群

 福崎町東田原1835-2、妙徳山古墳の南300m、岩尾神社の裏山にあります。神社前の道を右に進むと、すぐに標識があり、そこから70m登ったところに1号墳、すぐ後ろに2号墳があります。ともに径20mほどの円墳で、1号墳は横穴式石室の入口の天井石が一部露出していますが、入口は埋まっています。奥壁側に回ると、石組みが崩壊し、内部を覗く事ができます。玄室幅1.45mで、左方袖式のようです。六世紀中頃の古墳と思われます。

1号墳

1号墳、石室入口は埋まっている

1号墳、奥壁側が崩壊している

1号墳、奥壁側から石室前壁、床は埋まっている

 2号墳は天井石の石材が一部見えていて、墳頂が陥没しています。

2号墳

2号墳、天井石が見えている


東広畑古墳  【管理人推薦】【町史跡】

 妙徳山古墳の西300m、播但連絡道路を超えた福崎町西田原の田圃の中にあり、横穴式石室が完全に露出しています。外観からはわかりませんが、内部は意外にも全長10m近い大型の石室がほぼ完存しています。それどころか、床面の敷石も完璧に残っていて、閉塞石、石棺まで残されています。あまりの内容のすごさにほとんど狂喜状態に陥ってしまいました。石室は袖がなく、幅1.5m、高さ3mくらいで断面はきれいな台形をしています。墳丘がほとんど残っておらず、「古墳のお部屋」によりますと、最近奥壁の巨石が落下しました。

石室正面

奥壁側、手前の天井石がわすかに崩れている

敷石完存

組合せ式石棺と入り口の閉塞石

 2009年に保存整備が完成し、公開されました。調査の結果、径16mの円墳と判明した墳丘が復元されています。完全露出状態だった西向きの横穴式石室は全長10.4m、幅1.5m、高さ2.5mの無袖式で、床面には排水溝の上に川原石が敷き詰められ、組合せ式石棺の底石と側石の一部が残っていました。出土した須恵器から六世紀末〜七世紀初めの築造と見られます。

復元された墳丘と石室正面

玄室奥壁

組合せ式石棺底石

奧から


東新田古墳 【町史跡】

 東広畑古墳の東100mにあります。横穴式石室の基底部だけが残されていますが、規模的には東広畑古墳よりはやや小さいくらいです。床面に土嚢が敷かれているのでおそらくここにも敷石があると思われます。

横穴式石室正面側

向こうのプレハブ右隣に東広畑古墳がある

 2009年に東広畑古墳とともに保存整備されました。元、ツブレ塚と呼ばれ、墳丘は早くから削られ方墳状となっていましたが、元の墳形は不明です。横穴式石室は上部を失っていますが、西向きで全長9m、幅1.6mの無袖式です。床面には排水溝と川原石の敷石が敷き詰められていました。東広畑古墳とほぼ同時期の築造です。

整備された古墳

石室奧から


大塚古墳 【管理人推薦】【町史跡】

 福崎町山崎、市川西岸の水田の中にあり、赤い鳥居が目印です。墳丘はかなり改変されていますが、径30mの円墳と見られています。横穴式石室は右片袖式で正面と奥壁が開口、全長12.3m、玄室長約7m、幅、高さとも1.7mくらいの細長い石室です。

墳丘南側より

正面開口部、奥壁側も開口している

奥壁

羨門、右片袖式


神谷古墳

 福崎町高岡小字神谷、長野共同墓地のすぐ南の医王寺境内にあります。径20mくらいの円墳で、横穴式石室が開口しています。全長8m、幅1.5m、高さ1.8m以上の無袖式で、非常に細長く、玄室の手前で羨道の天井石が一段低くなっています。床がかなり埋まっていますが保存状態は良好です。

正面

羨道、玄室前で天井が一段低くなる

玄室奥壁、最下段は埋まっていそう

奧から


神谷医王寺石棺

 同じく医王寺境内にあります。上記の神谷古墳とセットで見学できます。家形石棺の蓋石が、お墓の台石としての余生を送っています。スマートで扁平な造りで、新しいタイプです。

 


朝谷1号墳 【管理人推薦】

 福崎町山崎1005-40、福崎町立スポーツ公園の東200mの山裾に墓地があり、そこから山沿いに進んだすぐ北側にあります。径14mの円墳で、横穴式石室が開口。全長8.7m、幅2.2mの無袖式で、ほぼ完存しています。

墳丘もまずまず残っている

石室正面

玄室奥壁

玄室奥から


宮山古墳

 福崎町福田、福崎町立スポーツ公園となりの大歳神社社殿裏にあります。径8mほどの円墳で、墳丘はかなり流失して横穴式石室の天井石が露出しています。内部は完全に埋まっていそうです。

墳丘側面より

石室正面?


三昧塚古墳群

 福崎町西治、観音寺周辺に分布する古墳群で、3基からなりますが、確認できたのは3号墳のみです。3号墳は観音寺南側の竹林にある径6mほどの円墳で、詳細は不明です。

竹林の入口にある

裏から


相山古墳 【町史跡】

 福崎町大貫2909、大善寺の西の丘陵上にあり、県道から見えています。径20mの円墳で、墳丘上には円筒埴輪と形象埴輪が並べられていたと考えられます。埋葬施設は竪穴式の墓壙で、床には河原石が敷かれていました。六世紀前半の築造です。現在、墳丘と埴輪が復元されています。


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