群馬県藤岡市西部の古墳


伊勢塚古墳 【管理人特選】【県史跡】

 藤岡市上落合318、県道174号線の北に、石室を開口した美しい墳丘が見えています。基壇上に二段に築かれた対角長27mの不正八角形墳で、前面の石垣は果たして本来のものかどうか不明。南向きに開口する横穴式石室は全長8.94m、玄室長4.7m、最大幅2.4m、高さ2.6m、羨道長4.24mの両袖式です。羨道は直線的な川原石の乱石積み、玄室は奥壁が砂岩の三段積み、側壁は珪石の周りに棒状の片岩を組み合わせた見事な模様積みで、胴張り状に、ゆるやかなアーチを描きながら、卵形の天井石を支えています。この石室の凄いところは、日本に現存する古墳の中で、おそらく唯一、デザイン性を優先させた美意識と、またそれを具現化した高度な土木技術にあります。他の模様積み石室と比較しても、あまりにも完成度がかけ離れており、現代の土木技術をもってしても築造は困難と言われています。六世紀後半の築造で、終末期ではないところも、また不思議な点です。

  奥壁と左右側壁

遠くからでもわかる美しい墳丘

石室正面

羨道、途中に疑似マグサ石を架設

奧から玄門部


七輿山古墳 【国史跡】

 藤岡市上落合831、伊勢塚古墳の南にあり、すぐそれとわかる大型前方後円墳です。県内三位、六世紀代では東日本最大で、全長145m、後円部径87m、前方部幅106m、墳丘は三段築成で、三重の周濠が巡ります。中堤の前方部側に二ヶ所の方形造り出しが確認されています。主体部は不明ですが、墳丘規模からして超大型の横穴式石室であることは間違いなく、私が生きている内に調査してほしいです。六世紀後半の古墳と見られます。現在、公園化が進み、ガイダンス施設も造られています。

  


宗永寺裏西塚古墳

 藤岡市上落合、宗永寺の境内西側にあります。全長48mの前方後円墳で、墳丘上は、堀越家一族の墓地になっています。一族からは、零式艦上戦闘機の設計者の堀越二郎氏が出ています。ちなみに伊勢塚古墳のオーナーも堀越さんです。

墳丘の現状

墳丘上


宗永寺裏東塚古墳

 藤岡市上落合848-1、宗永寺の東にあります。全長53mの前方後円墳ですが、墳丘は完全に墓地化され、元の姿はまったくわかりません。ここから出土した石棺が、寺の境内に保存されています。凝灰岩製のくり抜き式舟形石棺で、大きさは2.4m×0.93m×0.62m、側面に楕円形の縄掛突起が二個二対ついています。

墳丘の現状、墓地にしか見えません

かつて出土した舟形石棺


平井地区1号古墳 【県史跡・出土品は国重要文化財】

 藤岡市三ツ木249-9、猿田川を見下ろす河岸段丘北端に築かれた径24mの円墳で、主体部は横穴式石室ですが、現在は埋め戻されています。北向きに開口し、全長6.8m、玄室長3.65m、幅2.1m、羨道長3.15mの両袖式で、凝灰岩の截石切り組積み、玄門には框石があり、玄室の床面が一段低くなっています。六世紀後半の築造で、二本の装飾大刀が出土しています。

 


皇子塚古墳 【県史跡】

 藤岡市三ツ木247、平井地区1号古墳の隣にあります。径31mの円墳で、主体部は南東向きに開口する複室構造の横穴式石室ですが、現在は残念ながら埋め戻されています。全長8.33m、玄室長3.52m、幅2.1m、前室長1.89m、幅1.74m、羨道長2.64m、幅0.85mの両袖式で、玄室は截石切り組積み、前室・羨道は川原石の乱石積みで、玄門に框石、玄室奧には間仕切石があります。羨道の前には墓道が付設しています。六世紀後半、平井地区1号古墳と同時期の古墳です。

 


平井地区2号古墳、2号北古墳

 平井地区1号古墳の後ろ側に2基の円墳が並んでいます。1号寄りが2号古墳で、横穴式石室の石材が露出しています。隣の2号北古墳(仮称)は昇寛さんによると平成23年に発掘調査され、七世紀前半の横穴式石室墳と判明しました。

右が2号古墳

2号古墳、石材露出


白石稲荷山古墳 【国史跡】

 藤岡市白石1365、猿田川を見下ろす河岸段丘上に築かれた五世紀前半の大型の前方後円墳です。全長175m、後円部径92m、前方部幅62mの自然地形を利用した三段築成で、前方部が低くなっています。最下段の前方部は地形の制約を受けて、かなり変形しています。すぐ北側に十二天塚古墳、十二天塚北古墳がありますが、現状でほとんど墳丘も残っていません。

  


喜蔵塚古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 藤岡市白石753の飯玉神社西の民家の庭にあります。径25mの円墳か方墳で、横穴式石室が南に開口しています。全長7.4m、玄室長2.55m、幅2.07m、高さ1.8m、羨道長4.41m、幅1.3mの両袖式で、凝灰岩の切石積み、側壁には持ち送りがなく、巨石を使用した真四角な造りです。床面には敷き石が見られます。後世に二次利用されていて、石材の隙間はコンクリートで埋められ、石材には巴の刻印が彫られたりしています。終末期の七世紀後半の築造と見られます。

石室開口部

羨道、玄門で石材がわずかに張り出している

玄室、真四角な切石積み

奧から、袖部も真四角


堀越塚古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 藤岡市白石1948の龍泉寺すぐ南の民家敷地内にあります。径25mの円墳ですが、墳丘の東側は住宅のため削られています。横穴式石室が南西に開口、玄室のみが残っていて、内部は支柱で補強されています。玄室長3.76m、幅2.52m、高さ2.18mの両袖式で、転石をドーム状に積み上げ、側壁はその隙間に棒状の片岩を模様積み風に小口積みしています。七世紀初頭の築造と見られます。

墳丘、道路に削られている

羨道はかなり消失し、いきなり玄室

ドーム状の玄室

模様積みっぽい側壁


神田・三本木古墳群

 

 藤岡市神田、神田・三本木古墳群は204基からなる大群集墳ですが、現在はそのほとんどが消滅しています。2013年に宿神田地区にある6基の古墳が調査されました。すべて径10mほどの川原石を積み上げた円墳で、横穴式石室を主体部としています。K-9号墳は径8mの円墳で、無袖の横穴式石室を持ちます。玄室は凝灰岩の切石、羨道は自然石を使用していて、石材にはノミの跡が生々しく残っています。床面には石を敷き詰めています。K-10号墳は径10mの円墳で、墳丘、石室とも良好に残っています。石室は玄室に凝灰岩を使用し、仕切石で区画しています。外周の埴輪列が原位置で出土しました。K-11号墳は径11mの円墳で、ここも墳丘、石室が良く残っています。石室正面側には向かって左側に円筒埴輪、右側に形象埴輪を並べています。特に靭はほぼ完形状態です。K-12号墳は径8mの円墳ですが、かなり破壊され、小石室の一部が露出しています。K-13号墳は径9mの円墳で、無袖式の石室が残っていました。K-14号墳は、ほとんど破壊されて、基底部のみが残っていました。

K-9号墳

K-10号墳石室正面、手前に埴輪列が巡る

K-10号墳の玄室奥壁、仕切石が見える

K-11号墳石室正面

K-11号墳石室正面左側の円筒埴輪列

K-11号墳の靭形埴輪

K-12号墳玄室付近、向こうが奥壁

K-13号墳石室正面

K-14号墳の基底部、一部石室材が残る

 調査地周辺には小古墳がたくさん残存していますが、中に1基だけ前方後円墳があり、しかも小さな横穴式石室が開口していました。埼群古墳館で調べると、高橋塚古墳(美久里地区111号墳)だと思われます。

調査地に隣接する前方後円墳

後円部に横穴式石室開口

石室内部


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