群馬県高崎市(旧吉井町)の古墳


小暮の穴薬師

 吉井町小暮856、高崎市との境界すぐの県道沿いにあります。凝灰岩質の崖に掘り込まれた横穴墓で、装飾や構造上の特徴もこれといってありませんが、入口横に中世の磨崖仏が刻まれ、古くから穴薬師として、信仰されてきました。

右側が磨崖仏

横穴墓奥壁


御穴塚古墳

 吉井町馬庭、上信電鉄馬庭駅のすぐ北側の飯玉神社裏にあります。現状で径10mの円墳ですが、神社の社殿と隣の建物により削られていて、天井石が露出し、周囲に石垣が造られてしまっています。社殿の裏側に横穴式石室が開口。羨道部は残っていませんが、玄室は比較的保存状態良好です。奥壁、天井には巨石を使用し、側壁には模様積みが見られます。

古墳の現状、背後より

石室開口側

玄室奥壁


片山1号墳、多胡村115号墳

 吉井町池の多胡碑記念館いしぶみの里に2基の古墳が移築されています。多胡村115号墳は、もと神保259にあった径16mの円墳で、基壇と周堀が巡っていました。横穴式石室は全長7.9m、地元の多胡石を使用しています。現在、一部石材を補って復元されていて、墳丘も北半分だけ葺石の貼られた状態を復元しています。隣りに移築された片山1号墳は、元片山117にあった径24mの円墳で、基壇、周堀が巡っていました。中心部に8.8m×2mの粘土槨があり、銅鏡、鉄製農工具、管玉、石製模造品などが出土しました。現在は粘土槨だけが移築され、墳丘が復元されています。となりにある多胡碑は、日本三古碑の一つで、和銅四年(711年)の銘があり、国特別史跡に指定されています。この石碑と同じ石材、加工法で築かれた終末期の横穴式石室墳が2基、吉井町内に存在しています。

古墳の現状、背後より

石室開口側

玄室奥壁

国特別史跡・多胡碑


多胡薬師塚古墳 【管理人推薦】【町史跡】

 吉井町吉井川41、上信電鉄吉井駅の南1kmの丘陵上にあります。径25mの円墳で、横穴式石室が南に開口。全長4.95m、玄室長2.1m、幅2m、高さ1.8m、羨道長2.8m、幅1.2m、高さ1.5mの両袖式で、石材には多胡石を使用した一部截石切り組式石室です。石材、加工法に多胡碑との共通性が見られます。埴輪がなく、石室の形態から七世紀後半の築造と見られています。

古墳の現状

石室正面

玄室奥壁

奧から外


多比良古墳(諏訪前古墳) 【町史跡】

 吉井町多比良、多胡薬師塚古墳の南東1km、入野小学校多比良分校の南200mにあります。元々は円墳でしたが、墳丘は失われ、石室が完全に露出しています。多胡薬師塚古墳と同様に精巧な截石切り組式の横穴式石室墳なのですが、この扱いの差は違いはひどすぎますね。全長5.54m、玄室長2.8m、幅2.2m、高さ2m、羨道長2.8m、幅1.1m、高さ1.3mの両袖式で、石材には多胡石を使用し、ここでも加工法に多胡碑との共通性が見られます。保育社「日本の古代遺跡」では、この石室の加工法について、ベタほめなのですが、現状では、さっぱりそれがわかりません。何とかなりませんかねえ。

石室正面側

石室側面

玄室部

石室内部


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