徳島県鳴門市・萩原2号墓

ホケノ山古墳の原型がここにある


■徳島県鳴門市大麻町萩原 萩原2号墓

■2007年3月18日 現地説明会/徳島県教育委員会・財団法人徳島県埋蔵文化財センター

 萩原墳墓群は阿讃山脈の南麓の尾根上に位置し、先端に存在した1号墓は県道・鳴門池田線トンネルの改良工事に伴う調査で1979年に見つかり、発掘調査後、道路建設で消滅しました。調査の結果、円丘部に突出部が附属する弥生終末期の前方後円型積石墳丘墓で、積石木槨を埋葬施設とし、画文帯神獣鏡が副葬されていました。

 2号墓は1980年に発見され、2006年に墳丘形態などが確認された結果、直径20m、高さ2.5mの円丘部に長さ5.2m、先端部の幅4mの突出部が付いた前方後円型墳丘墓で、1号墓とほぼ同じ大きさでした。一辺約0.4mの丸石が斜面に敷かれ、裾には一辺約0.6mの砂岩が二〜三重に置かれています。今回の調査では、1号墓と同様の積石木槨が確認され、出土した供献土器から二世紀末〜三世紀初頭の築造とわかりました。積石木槨は墳丘墓中央部にあり、木棺のまわりに、長方形の木槨があり、木槨を保護するように角張った礫で周囲を囲み、さらにそのまわりに40cm大の砂岩が東西6.5m、南北4.1mの範囲に並ぶ三重構造でした。また、全体に吉野川の河原から持ち運んだ白色の石英が散乱しており、木槨の上面を覆っていた積み石が落下したものとみられます。墓坑の外側に二ヶ所、土器の破片が散らばった場所があり、祭祀の跡と思われます。

 2号墓は、1号墓に先行すると考えられ、積石木槨の保存状態も良好で、後のホケノ山古墳の石囲い木槨の原型といえる構造が明らかになりました。

 中央の白線が木槨跡

墳丘

背後から


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