静岡県浜松市浜北区・天竜区の古墳


興覚寺後(六所神社)古墳 【管理人推薦】【市史跡】

 浜北区宮口の六所神社境内にあります。全長35m、後円部径18mの前方後円墳で、後円部に横穴式石室が開口しています。石室全長8m、玄室長5.6m、幅2.4m、高さ2.4mの右片袖式で、羨道の天井が一部低くなっています。横穴式石室としては古い形態をしており、六世紀前半、遠江における最初の横穴式石室であるとともに、最後の前方後円墳と見られています。

後円部の石室開口部

石室正面

玄室奥壁

奧から


高根山古墳(高根山B5号墳)

 浜北区高根、興覚寺後古墳のある六所神社の森の東に高根山があり、その山頂にあります。高根神社背後の岩場を登って左側へ50mのところに横穴式石室が露出しています。径15mの円墳で、横穴式石室が露出しています。全長3.5m、玄室長3m、幅2.1m、高さ1.8mの両袖式で、羨道は玄門部の柱石のみ、側壁は小型のチャートを加工せずに積み上げています。山頂に単独で存在していますが、最近、第2東名の工事で麓近くから41基の古墳が新たに発見されました。

石室正面

石室横から

玄室奥壁

奧から玄門部


人形山3号墳(雲岩寺B5号墳)

 浜北区根堅、六所神社(興覚寺後古墳のある六所神社とは違うので注意)の裏山に人形山古墳群があります。道らしい道はありませんが、山頂から50mほど南に下った斜面に4基の古墳があり、その中で3号墳の横穴式石室の玄室が完存しています。全長5.6m、玄室長3.2m、幅1.5m、高さ1.8mの無袖式で、奥壁は二段積み、羨道は崩壊しています。玄室断面は台形で、形態は近くの将軍塚古墳と似ています。他の3基は、石室の状態の良い物はありません。

3号墳石室

3号墳玄室奥壁

3号墳玄室奥から

他の古墳1、石材散乱

他の古墳2、玄室の一部露出

他の古墳3、石室がわずかに残る


将軍塚古墳(泉A1号墳)

 浜北区根堅、山の上の県立森林公園内にある田村将軍神社の前の石段を下り、参道を左へ100m進んだすぐ右側の林の中にあります。市博物館で尋ねると、麓の岩水寺から登る参道は現在崖崩れのため、通行は危険だそうです。径14mの円墳で、横穴式石室が開口しています。全長6.2m、玄室長3.9m、幅1.6m、高さ1.9mの無袖式で、羨道は土砂で埋まっています。奥壁は巨石1枚、側壁は小さな石材を積み上げていますが、持ち送りは小さく、天井石は巨大です。

石室開口部

玄室

玄室奥壁

奧から


大屋敷古墳群

 浜松市浜北区宮口のアラ玉中学校裏にあり、国道362号バイパス建設に伴い2000年から発掘調査され、これまでに114基の古墳が発見されています。2005年度にA群の14基が調査されました。墳丘、横穴式石室ともに保存状態の良い古墳は皆無ですが、三河地方、畿内、三方原台地の3地域の影響を受けた石室の形態が混在し、この古墳群の性格を示しています。現地は畿内型右片袖式横穴式石室をもつ前方後円墳、興覚寺後古墳のすぐ背後の山の南斜面で、大和政権の影響を受けて6〜7世紀の三方原台地を納めた地域の連合体の奥津城と考えられます。調査後は消滅の予定です。

 48号墳、玄室長2.7m、幅0.88m、川原石で構築する三方原台地で良く見られる形態。入り口が無く、竪穴式に近い。

 54号墳、石室幅1mで羨道部は未調査、これも三方原タイプで、天井石が一部残り、保存状態は良いほう。

 55号墳、石室全長9.7mの大型石室、立柱石が残り、三河地方に良く見られる複室構造。7世紀の築造。

 56号墳、石室全長11.4m、幅1.65mで、これも三河タイプ。石材表面やコーナーの処理など丁寧な造りが目立つ。

 58号墳、玄室長3mで胴張り状。床面の礫が良く残っている。7世紀中頃の築造。

 60号墳、石室長2.2m、幅0.85m、すべて川原石で構築されていて、保存状態も良い。


北新屋B古墳群

 浜北区宮口、2016年に実施された国道362号バイパスの事前調査で、上部を失った終末期の横穴式石室群を検出しました。北新屋B5号墳は全長4.8m、幅1m、袖部はなく、閉塞石が残っていました。B6号墳は現存長2.6m、幅0.9mで、羨道は道路で失われています。玄門に立柱石を立て奥壁には石灰岩を使用しています。

B5号墳石室、手前が閉塞石

B5号墳石室、奧から

B6号墳石室、奥壁の石灰岩が白い。

B6号墳石室、奥から


於呂神社内古墳

 浜北区於呂の於呂神社境内鳥居横にあります。径23.8m、高さ3.9mの円墳で、主体部は木棺直葬、旧浜北市内では古い築造の中期古墳です。

 


向野古墳(6号墳) 【管理人推薦】【市史跡】

 浜北区根堅の静岡県林業試験センターの南側斜面にあります。駐車場に説明板があり、古墳はそこから農園の中を下っていった麓近くです。南向き斜面に造られた径18mの円墳で、横穴式石室は羨道が失われていますが、玄室長5.5m、幅1.9m、高さ1.9mの規模です。奥壁、天井には巨石を使用し、側壁は二段積み、玄門部は立柱石を立てています。センター入口から駐車場へ向かう道の途中、180度カーブする内側に、3、4号墳が残っていますが、保存状態は良くありません。

墳丘はかなり変形されている

石室正面

玄室奥壁、巨石一枚

奧から

3号墳、墳頂が大きく陥没

4号墳、石材1個残るのみ。奧に3号墳


内野古墳群

 浜北区内野の天竜川河岸段丘上の先端に築かれた中期の古墳群で、前期終わりに築かれた前方後円墳の赤門上古墳と、木棺直葬の円墳群からなります。赤門上古墳は県史跡で、主体部は後円部中央に木棺直葬、墳丘裾に敷石帯が輪郭に沿って巡らされ、その上に盛り土がされていました。山の神古墳は、赤門上古墳の北200mの保育園隣にあり、径16mの円墳ですが、未調査です。稲荷山古墳はさらに北100mの稲荷社裏にあり、径30mの円墳でやはり未調査です。

赤門上古墳

山の神古墳

稲荷山古墳


二本ヶ谷積石塚群

 浜北区染地台五丁目、浜北新都市工業団地南側の谷間の調整池周辺にあり、東谷支群が公園として整備されています。東谷支群は22基が確認され、現在6基が残存していますが、本体は保護のため埋められていて、公開されているのは、その上に復元されたものです。五世紀後半〜六世紀前半に築かれた県内では唯一の積石塚群で、ほとんどが一辺10m以下の方墳です。渡来系氏族の古墳群ではないかと言われています。

 赤マークが現存古墳

手前が8号墳

12号墳

13号墳

14号墳

18号墳、奧の標識は消滅した16、17号墳跡

9号墳、唯一西岸にある


光明山古墳 【県史跡】

 天竜区の光明寺前にあります。丘陵先端に築かれた全長83.4mの前方後円墳で5世紀後半の築造。天竜川が山間部から平野部に出る要所に位置し、水利権を支配した豪族の首長墓と見られます。


仇山古墳群

 天竜区春野町気田の梅谷さん宅の敷地内にあります。サスダイ工業の裏です。七世紀前半に築造された19基からなりますが、現地では、古墳とわかるマウンドは見あたりません。唯一10号墳の横穴式石室の天井石だけが露出しています。10号墳は径10mほどの円墳で、石室は長さ5m、幅1m、高さ1.2m、玄室と羨道は立石で区画していました。石室は川原石、閉塞石は山石を使用しています。この石室の模型や、出土品が春野町歴史民俗資料館に展示されています。

分布図

明確に古墳とわかるマウンドはない

唯一石室の天井石が露出した10号墳

10号墳石室の模型


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