鳥取県八頭町の古墳
◆寺山古墳(郡家3号墳)
八頭町郡家、郡家警察署裏の丘陵先端にあります。全長37.5m、後円部径18mの前方後円墳で、横穴式石室の天井石が露出しています。天井部がわずかに開口。入室すると、確実に汚れますので、その準備が必要です。全長4.5m、幅2mの右片袖式ですが、内部は土砂が流入して、かなり狭いです。
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八頭町郡家大字福本、福本集落の背後の斜面に、福本古墳群約70基があります。集落の西端から、登り道があり、墓地を過ぎて、谷川を渡ったところに大塚古墳があります(説明板有り)。福本古墳群の中では最大の径18mの円墳です。横穴式石室が良好に残っていますが、羨道天井の開口部が狭いので、入室は寺山古墳よりも困難です。石室は全長6.7m、玄室長3.3m、幅2.12m、高さ2.6m、羨道長3.4m、幅1.13mの右片袖式で、床面はかなり埋まっています。奥壁の鏡石以外は小型の石材を上部で急激に持ち送り、奥壁の前に、箱式石棺の板石二枚が残っています。線刻画の存在が指摘されていますが、左側壁材などには落書きが多く、もはや、確認は困難です。
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福本大塚古墳から、さらに登っていくと、山林の中に、古墳がいくつか群集しています。
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福本古墳群の最も奧にありますが、この辺りまで来ると、もう道がありません。径12mの円墳で、横穴式石室の天井石が露出しています。隙間から、玄室を覗くことができますが、内部はかなり埋まっています。ここには、玄室奧壁、左右側壁に線刻が見られます。鳥、綾杉、平行線、弓が描かれているとされますが、中に入れないので、確認は困難です。
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八頭町米岡中ノ谷、霊石山の南の中腹、鳥取市河原町との境界線近くの山林内にありますが、場所の説明が難しく、案内無しにはたどり着けないところにあります。三回目の訪問で、教育委員会の人に案内してもらって、ようやく、ゲットしました。もう、一人で行けますので、訪問希望者には、案内いたします。径10mほどの円墳で、横穴式石室が露出しています。全長5.1m、玄室長2.2m、幅1.4m、高さ1.8mの右片袖式で、天井は中高式、袖部は板石を立てています。奧・側壁には切石状の巨石を使用し、床面には巨大な板石を敷石にしています。玄室左右側壁と天井石に、多数の線刻画が見られます(落書きも多い)。特に著名なのは右側壁奧寄りにある人物像と綾杉紋で、その他に格子紋、木の葉紋などが描かれています。また、天井石の側面にも線刻があり、完成前に描かれていたと思われます。1960年代に盗掘され、緊急調査の際に出土した須恵器から七世紀初頭の築造とされています。
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米岡古墳群は、大きく東西二つの支群に分かれます。霊石山の南麓を通る県道287号線の橋のところから、段々畑の中の道を2号墳に向かって登っていくと、道が山林の手前で右に曲がるところに崩壊した石室が露出しています。また、山林の中にも巨石が散乱しています。
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その先の畑の所から、谷川を超えて、西へ登って行った最初の尾根筋にも、石材の露出したマウンドがいくつか見られます。2号墳は、この尾根を越えた次の緩斜面右側の薮の奧にあります。
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県道287号線の橋から川沿いに東へ500m、川の北側の集落から山道を登っていくと、山林内に東支群があります。多数の露出した横穴式石室がありますが、内部はほとんど埋まっています。この中にも、線刻画があるそうですが、入室できないので、よくわかりません。
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