愛知県幡豆町・吉良町の古墳


幡豆町

王塚古墳

 幡豆町指定史跡。幡豆町鳥羽の広域農道沿いにあり、説明板が建っています。全長26mの前方後円墳または前方後方墳で墳丘はほぼ完存しています。主体部は不明ですが、四世紀後半頃の築造と見られます。

 

西風入古墳

 幡豆町大字鳥羽字西風入53、王塚古墳の東隣りの谷間の集落奧に弘法堂跡があり、その裏の竹林の南斜面にあります。径7.3mの円墳で、横穴式石室が南に開口。玄室長3.6m、幅1.7m、高さ1.8m、羨道長1.3m、奥壁付近の保存状態は良好ですが、袖部は崩壊して形式は不明です(左片袖式か?)。側壁は胴張り、持ち送りがあり、床面には棺台らしき割石が散乱しています。

石室正面

床面に割石が散乱、棺台か?

玄室奥壁、美しく保存されている

奧から、入口付近は崩壊気味

中之郷古墳(穴観音古墳)

 幡豆町指定史跡。幡豆町大字西幡豆字中之郷、西幡豆駅の西500mの集落内にあり、穴観音として信仰されていて、途中から案内が出ています。墳丘はかなり改変されていて、石室は主軸が東西方向なのに北西に開口していますが、羨道部は後世の石積みで、本来は西向きだったと思われます。現状で玄室長4.65m、幅1.9m、高さ1.7mの推定左片袖式で、薄い割石を持ち送りながら積み上げています。北部九州の初期横穴式石室との共通性を感じさせ、この地域では最古の横穴式石室です。

古墳の現状、左側にお堂との間に石室開口

石室開口部

左側壁

玄室奥壁方向

蕨迫(わらびはざま)古墳

 幡豆町大字西幡豆字蕨迫2-1、中之郷古墳から県道320号線を北へ2km行くと、登りに掛かる辺りの左側に大きなため池があり、そこから南へ200m戻った道路東側の山麓南斜面にあります。県道からすぐですが、倒木などに隠されて、ちょっとわかりにくい位置にあります。現状で径6mの円墳で、横穴式石室が良好に残っています。全長4.4m、幅1.6m、高さ1.65mの右片袖式で、玄室は極端に胴張り、持ち送りのある付近では良く見るタイプです。

石室正面

玄室奥壁

玄室奧から

とうてい山古墳 【管理人推薦】

 幡豆町指定史跡。東幡豆小学校北の三河湾を見おろす丘陵先端にあり、国道交差点に案内が出ています(見逃し注意)。径21mの円墳で横穴式石室は全長8m、玄室幅2.8m、高さ2.8mの大型石室で佐久島産の砂岩で造られた箱式石棺が納められていました。豪華出土品は歴史民俗資料館に展示されています。石室には扉がありますが、女性なら通れそうな微妙な隙間が開いています。さて、皆さんは通れるかな?

和尚塚古墳

 幡豆町大字東幡豆字岩倉10-5、とうてい山古墳のある丘陵東の道を山へ登っていき、ヘアピンカーブをすぎると、左側にコンクリートで造成された果樹園があります。そのコンクリートの壁に沿って、南側に回ると、山林の中に石室が露出しています。径10.9mの円墳で、封土は流出、石室は天井石や羨道が失われていて、床も半分は埋まっています。玄室長4.9m、幅1m以上、玄室はやや胴張りで、持ち送りがあります。

石室玄門付近から

玄室奥壁

洲崎山古墳群

 幡豆町東幡豆の洲崎山尾根上に分布する5基からなる古墳群で、見学できるのは4基です。一帯は「愛知こどもの国」という遊園地(入園無料・駐車場は有料)になっていて、古墳は園内の広い範囲にちらばっていて、アップダウンもきついため、すべてを訪問するのは、かなり大変です。

 1号墳

 「中央広場」東のサイクル列車の奧から西洲崎山自然歩道が設けられていて、急な斜面を登り詰めた尾根上にあります。径14mの円墳ですが、封土はかなり流出し、天井石をほとんど失った横穴式石室が露出しています。玄室長3.6m、幅1.35m、高さ1.4m、羨道長1.2m以上の無袖式で、羨道から玄室へは床面が一段低くなっています。

石室正面

玄室奥から

 2号墳 【管理人推薦】

 1号墳の北東550m、洲崎山の中央部にあり、現在は東エリアの「芝生広場」に移設・復元されています。径9mの円墳で、南側に列石が巡ります。横穴式石室は南南西に開口し、全長6.4m、玄室長3m、最大幅1.4m、羨道長2.4m、幅1.1m、前庭部長1mの疑似両袖式で、玄室、羨道、前庭部を立柱石で区画しています。玄室は胴張りで奥壁付近に扁平な河原石を敷き詰めています。前庭部は、一石だけでハの字に開いています。説明板には複室構造と書かれていますが、これを羨道と呼ぶには無理があります。

石室正面

羨道を横から、前後を立柱石で区切られる

玄室奥壁

玄室奧から

 3号墳

 2号墳の北東450m、遊園地の北東端の山林内にあり、周遊道路沿いに標識が出ています。径9mの円墳で、外護列石が前側にあります。横穴式石室は南西に向いており、全長7.4m、玄室長3.5m、最大幅2m、羨道長2.1m、幅1.7m、前庭部長1.75mの疑似両袖式です。構造は2号墳とよく似ていて、玄室は胴張り、持ち送り、各室は立柱石で仕切られ、前庭部はハの字に開いています。天井石は二枚のみ残っています。

石室正面

石室正面から、手前の天井石が玄門部

玄室奥壁

玄室奧から

 4号墳

 3号墳から尾根を一つはさんだ南の周遊道路沿いにあります。前面が破壊されていましたが、径8mの円墳と思われます。横穴式石室は南南西に開口し、玄室長2.5m、幅1.56mの疑似両袖式で、羨道は半壊しています。玄室は胴張り、持ち送りがあり、玄室と羨道は立柱石と仕切石で区切られています。

周遊道路沿いに開口

石室正面

玄室奥壁

玄室奧から


吉良町

正法寺古墳

 吉良町正法寺裏山にあり、海を見おろす丘陵先端に立地しています。全長95m以上の西三河最大の前方後円墳で、2001年に発掘調査が実施され、円筒埴輪の特徴から五世紀初頭の築造と判明しました。

岩谷2号墳

 もと、吉良町北端の岡山古墳群にありましたが、土取りで消滅し、現在石室が吉良町歴史資料館に移築保存されています。径13mの円墳で複室構造の横穴式石室を主体部としています。玄室は胴張り状で、現状で、持ち送りはあまりありません。七世紀頃の築造です。


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