広島県東広島市・海田町の古墳


東広島市

三ッ城古墳群 【管理人特選】

 国史跡。東広島市西条町御薗宇、国道2号バイパスそばの住宅街の中にあり、周辺が公園化されています。1号墳は全長92m、県下最大の前方後円墳で、周濠をもち、三段築成、上二段に葺石が施されて、テラスに円筒・形象埴輪が巡っています。両クビレ部に造り出しがあり、西側の方から祭祀用の土器が出土しています。後円部墳頂に3基の埋葬施設があり、うち2基はそれぞれ石槨の中に石棺が納められていました。五世紀後半の築造で、首長墓に相応しい大型古墳です。後円部に隣接して2号墳があります。径25mの円墳で、主体部の竪穴式石室は埋め戻されています。1号墳に先行する古墳です。3号墳は、2号墳と山側を区画する周溝の中に築かれた8m×4mの楕円形墳で、箱式石棺が納められていました。

古墳群の分布

復元された墳丘

クビレ部の造り出し

2号埋葬施設、石棺のまわりを石槨が包む

2号墳

3号墳

保田古墳群

 市史跡。黒瀬町国近保田、保田窯の裏にあります。従来、4基の横穴式石室墳と考えられて来ましたが、そのうち3基は、墳丘がほとんど連続していて、三石室を有する長円形墳という説もありました。2006年の市史編纂事業に伴う、市教委による初の発掘調査で3つの横穴式石室を備えた前方後円墳である可能性が出てきました。現存長25m×9mの規模です。3つのうち中央の横穴式石室はほぼ完存していますが、両側の2基は破壊されて大きな盗掘跡が残っていました。今回の調査で、西側の石室跡を調査した結果、基底部を検出。全長5m、幅1.5mの規模であることも分かり、須恵器や短刀などの副葬品も見つかりました。中央の石室は全長4.8m、幅1.2m、高さ1.35mの無袖式です。隣りの2号墳は径12mの円墳で、幅1m、高さ1.3mの小横穴式石室が開口しています。

3基の石室が並ぶ、墳丘

中央石室の玄室

右側の石室跡

もう1基の横穴式石室墳

小松古墳(小松西7号墳)

 福富町久芳三ッ橋、国道375号線三ッ橋バス停北西へ徒歩五分の民家裏にあります。40基からなる小松古墳群のうち、最も保存が良い径16mの円墳で、横穴式石室が南西に開口。全長8.5m、玄室長4.8m、幅1.95m、高さ1.82mの右片袖式で、玄室と羨道の境界は柱石を立て、天井の高さを変えています。それにしても、石室内に置かれた人物埴輪の置物が気になります。

宮ヶ迫古墳

 豊栄町乃美、賀茂北高校の北に本宮八幡神社があり、その北西にあるため池の南側の山林内にあります。谷間の奥まった位置にある径14mの円墳で、横穴式石室が南に開口。全長9m、幅2.1m、高さ2.1mの規模で、袖部は不明瞭です。天井の盗掘坑から、石室内にかなり土砂が流入しています。一緒に古墳を探してくれた、近所に住む仲良し姉弟たちが、いつか大きくなって郷土の古墳をインターネットで調べた時に、このサイトがヒットして、そこに自分たちの画像があるのを見つけてくれる日を待ってます。

石室前、一緒に古墳を探してくれた近所の仲良し姉弟

玄室奥壁

中から入り口


海田町

畝観音免1号墳

 町史跡。海田町畝二丁目の畝観音公園内にある海田町ふるさと館の建物裏にあります。二基からなる古墳群で、1号墳は、封土を失い、南に開口する横穴式石室が剥き出しになっています。全長8.1m、玄室長5.8m、幅2.1m、高さ2.3m、羨道長2.3m、幅1.7mの両袖式で、玄室の奥側に敷石があります。出土した須恵器から、七世紀前半の築造と見られます。

古墳の現状

玄室、奥壁は巨石を使用

奥から入り口

ふるさと館の建物内部に、のぞき窓付きの説明板あり

畝観音免2号墳

 町史跡。1号墳の背後の斜面にあります。公園の造成で破壊され(本末転倒!)、横穴式石室の玄室奥側だけが残っています。残存長2.3m、幅2m、高さ2.3mで、1号墳とほぼ同規模と推定されますが、側壁にやや持ち送りが見られます。床面には敷石が敷かれ、排水溝のようなものもあります。

玄室側壁

玄室奥壁

上安井古墳

 元、海田町東海田にありましたが、1999年に国道2号線東広島バイパスの工事で発見され、調査後、海田ふるさと館の敷地内に移築復元されました。径15mの円墳で、埋葬施設は墳頂中央に竪穴式石室が1基のほか、土坑墓が3基確認されました。竪穴式石室には木棺が納められていたらしく、出土した副葬品から、前期前半の築造と見られ、県内でも有数の古い古墳と判明しました。

石室

石室天井石


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