熊本県氷川町の古墳


竜北高塚古墳 【管理人推薦】【町史跡】【装飾古墳】

 氷川町高塚、国道3号線「道の駅竜北」の北側の大野交差点から北東方向の台地を登っていった先にあります。一応案内標識がありますが農道が狭く、入り組んでいるため、たどり着くのは困難です。墳丘はかなり失われていますが、本来は径45mの大型円墳だったと思われます。主体部は阿蘇熔結凝灰岩の板石を組み合わせた家形石棺で、2.25×1.1×1.2mの大きさ。かなり破壊された状態で露出しています。内部は赤く塗られ、蓋石の内側の長辺に長方形の浮彫、短辺に円紋、東側小口側石に円紋と刀状紋の浮彫、西側小口側石に三個の円紋の浮彫が施されています。円紋の周囲は四角く区画されています。さて、装飾の保存状態は良くないのですが、残念なことに西側小口側石の三個の円紋が、近年ほぼすべて失われてしまいました。他の皆さんの過去の画像によると、2007年以降に急激に剥落が進んだようです。また、直弧紋のあるという石枕は土の中に埋もれているのかも知れません。五世紀後半の築造です。

古墳の現状

破壊された装飾家形石棺が露出

家形石棺の蓋石の一部

東側小口側石の円紋の浮彫と長方形の区画

蓋石の裏側、長方形の彫り込み

以前の西側小口側石、三個の円紋が横に並んでいた

西側小口側石の現状、装飾部分がほぼ完全に失われている

唯一、左端の鏡の一部が残る


大野窟古墳 【管理人特選】【国史跡】

 氷川町大野、国道3号線「道の駅竜北」の北側の大野交差点から県道を登っていき、吉野保育園の手前の急坂を東へ100m登っていった所にあります。最近の発掘調査で墳丘は全長122.8mの県下最大の前方後円墳と判明しました。前方部は扁平で、剣菱型の可能性があり、畿内の後期大型前方後円墳の特徴を備えています。横穴式石室は全長12.4m、玄室長5.2m、幅2.93m、高さ6.5m、前室長1.85m、幅2.15m、高さ1.92m、羨道長3.5m、幅1.8m、高さ2.1mの複室構造で、肥後型石室としては最大、また玄室高さは日本最高です。羨道から玄室まで同じ高さの巨大な切石で側壁を構築し、玄室はその上に長方形のブロックを直線状に高く積み上げて異常に高い天井を構築しています。前室は袖石だけで区切り、玄門は巨石をくり抜いています。石室内は全面に赤色顔料が塗られ、奥壁には巨大な石棚を架け、その下にある阿蘇熔結凝灰岩製のくり貫き式石棺身は2.4×1.3×0.87mの巨大さで、玄室には家形の屋根の破片が散乱しています。玄室の左右側壁前には、それぞれ巨大な板石を敷き、立石で仕切った屍床があります。羨門には扉石を填めるための溝がありますが、扉石は昭和時代に割られて古墳前の石垣に転用されました。現在も石垣の中に赤色顔料の付着した石材が見られます。羨道側壁には後世に彫られた碑文が残っています。石室は現在入口に柵が設けられ、竜北公園のウォーキングセンターで鍵を貸し出しています。死ぬまでに一度は見ておきたい古墳です。

石室入口、扉石を填めるための溝がある

羨道から前室

巨大な玄室、石棚と石棺も巨大、天井は画面に収まりません

前室から巨石をくり抜いた玄門、赤色顔料が良く残っている

日本一高い玄室天井を見上げたところ、はるか遠くです

奧から玄門

玄門と左側壁

古墳前の石垣にある赤色顔料の付着した石材

転用された扉石と思われます


地蔵堂古墳

 氷川町大野崩迫、大野窟古墳のところから県道155号線をさらに登っていき、野津古墳群のほうへ右折する交差点のすぐ北東の丘陵上の墓地にあります。墳丘は小さくなっていますが、墳丘上に破壊された凝灰岩製の家形石棺の残骸が散乱しています。一部は中世の板碑に転用されています。

墓地内に保存

墳丘上に石棺材が散乱

家形石棺の蓋石の裏のくり込み


野津古墳群 【国史跡】

 

 氷川町野津、国道3号線と九州自動車道の間に挟まれた台地上に分布する5基の後期前方後円墳からなる古墳群で、4基が現存しています。このうち、2基が100m以上の規模で、中九州を代表する首長墓群です。なお、古墳群周辺の農道は狭く、見通しもきかないので、見学向きではありません。

 

物見櫓古墳

 六世紀初頭、最初に築かれた全長62mの前方後円墳で、周濠、埴輪はなく、葺石があります。盗掘されていますが、主体部は全長11mほどの大型横穴式石室であったと推定されています。

姫ノ城古墳

 六世紀初頭〜前半、続いて築かれた全長86mの前方後円墳で、周濠を含めると115mの規模になります。レーダー探査により、主体部は横穴式石室と推定されています。

中ノ城古墳

 群のほぼ中央にある六世紀前半の全長102mの前方後円墳で、群中最大。周濠を含めると117mになります。墳丘は三段築成で、葺石があり、埴輪と共に石製の衣笠の一部が見つかっています。主体部は石屋形を持つ横穴式石室です。

端ノ城古墳

 六世紀前半から中頃、4基のうち最後に築かれた南端にある全長68mの前方後円墳で、周濠を含めると80mの規模です。葺石、埴輪があり、主体部は破壊されていましたが、見つかった破片から横口式家形石棺か石棺式石室と推定されています。


上平原古墳

 氷川町宮原の桜ヶ丘墓地駐車場手前の道路沿いにあります。旧宮原町宮原字上平に存在した古墳で、工事のため、現在地に移築されました。石室は下部しか残っていませんが、凝灰岩の巨石で玄室を構築し、内部にコの字に屍床を区画しています。玄門の石材には彫り込みが残っていて、くり抜き式の玄門だったかもしれません。

道路脇にある

石室正面側より

奧から、玄門の石材に彫り込みが残る


室山古墳(室ノ山2号墳、および1号石棺) 【町史跡】

 旧宮原町今字室、上記の桜ヶ丘墓地へ登っていく道路の途中から山道が分岐していて、そこを少し登っていったところに覆屋があります。ここが室ノ山2号墳で、覆屋の中に石棺2基が保存されています。右側の1号石棺(舟形石棺)は約百年前に近くで出土したもので、身、蓋ともすでに破壊された状態でした。身には作りつけの石枕、蓋には縄掛用の穴があります。左側の2号石棺(組合せ式箱式石棺)は昭和45年に現在地で見つかったもので、人骨や鉄製品が副葬されていました。いずれも五世紀前半頃のものです。

道路脇に突然ある覆屋

2基の石棺群、右が1号舟形石棺の身と蓋

1号舟形石棺の身の石枕

2号箱式石棺の内部、真赤です


大王山古墳第2号 【町史跡】

 氷川町早尾の護念寺南側の丘陵上にあります。径25mくらいの円墳と思われますが、墳丘はほとんど残っておらず、さらに近年、石室の周囲が寺によって大きく造成されてしまいました。露出した横穴式石室は鬼の岩屋型北限とされていて、大きさは2×3.6m、厚さ50cm、砂岩の切石で構築しています。天井石は失われていますが、近所の畑に1個残っているそうです。

周囲をすっかり破壊されてしまいました

石室正面側、石材が分厚い

左が奥壁


大王山古墳第3号 【県史跡】【装飾古墳】

 氷川町早尾の墓地の上にある現状で径15mほどの円墳です。現在竪穴式石室が覆屋で保護されていますが、入口の鍵は近くの民家で借りられます。石室は板石を積み上げ、その中に舟形石棺を納めています。阿蘇熔結凝灰岩製の舟形石棺は3×0.6mの大きさで、内部には石枕が作り付けられています。屋根は半分しかありませんが、長辺には四ヶ所に縄掛用の穴が、短辺側には突起が残っています。さらに蓋の斜面に四角く区画した彫り込みがあります。四世紀末〜五世紀頃の築造と考えられています。

墳丘と覆屋

覆屋内部の竪穴式石室と舟形石棺

 

石棺内部、奧側に石枕がある

奧側から

蓋の縄掛け用の穴と方形区画の彫り込み

真上から見た蓋の縄掛け用の穴と方形区画の彫り込み


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