姫路市東部の古墳


壇場山古墳 【管理人特選】【国史跡(第1、2、3古墳を含む)】

 姫路市御国野町国分寺、JR御着駅の北500mにありますが、工場や団地に囲まれて、けっこう見逃しやすい状況にあります。全長142.8m、後円部径83m、前方部幅87m、西播磨最大の前方後円墳で、幅10〜20mの盾形周濠が巡り、西側には周庭帯も認められます。東西のくびれ部には造出があります。後円部墳頂に竜山石製の長持形石棺(長さ3m、幅1.4m)の蓋石が露出しています。石室がなく、直接埋められたようです、各辺に2個ずつ縄掛突起がついています。かつて墳丘上には天満神社が建っていましたが、現在は撤去されています。東と南西側に陪塚が2基残っていますが、本来はもう1基存在した記録が残っています。

  前方部北西端から

後円部から前方部方向、中央に造出

後円部から前方部

後円部墳頂の長持形石棺

小口側の縄掛突起

 東側の民家の間にある陪塚の林堂東塚古墳(第1古墳)は全体像が良く見えませんが、小円墳です。南西に隣接する陪塚の櫛之堂古墳(第2古墳)は径20m以上の円墳と思われます。長持形石棺の小口の石材が露出しています。

林堂東塚古墳(第1古墳)

櫛之堂古墳(第2古墳)

櫛之堂古墳(第2古墳)長持形石棺の小口側石材


山之越古墳(壇場山第3古墳) 【管理人特選】【国史跡】

 壇場山古墳の北に隣接する1辺60m、二段築成の大型方墳で、周濠が巡り、墳頂に長持形石棺が露出しています。石棺は長さ2.5m、幅1.2mで縄掛け突起が左右2個ずつあります。北側の小口側も露出しており、長側石にも縄掛突起があります。

東側から

北東部の墳丘裾の葺石

墳頂に露出する長持形石棺

長持形石棺の小口側


三ツ塚古墳(佐土新村前古墳)

 別所町別所の姫路市立東中学校校庭にあります。名前が示すように、かつては古墳群を形成していたようですが、現在は単独で存在します。墳丘は旧状を留めておらず、横穴式石室の石材が露出しています。内部はかなり埋まっていますが、わずかに覗くことができます。

中学校校庭にある

石室が露出

石室内部


山神社古墳群

 姫路市別所町佐土新田の山裾にある山神社境内にあります。1号墳は正面右手の玉垣外にあり、石室が完全に露出しています。南西に開口する全長7mの無袖式で天井石が一部落下しています。2号墳は神殿右側にあり、やはり石室が露出しています。全長9mの無袖式で、1号墳よりは保存状態がやや良好です。

1号墳奥より

1号墳石室内、奥壁側より

1号墳石室正面

2号墳石室正面

2号墳石室内、奥壁は消失

2号墳石室奥壁側より


石積山古墳群

 姫路市花田町、天満神社西に1基石室が露出。石室は倉庫と化しています。近くの定額寺に古墳群出土の石棺の底石があります。

古墳の悲惨な現状

定額寺にある石棺材


トオトヅカ古墳

 飾東町豊国、谷外小学校西200mの丘陵頂上にあり、南側の墓地から登っていけます。地形を利用して築かれた全長22m、後円部径15mの前方後円墳です。墳頂が削られ、天井部の破壊された横穴式石室の上部が露出しています。内部はかなり埋まっていますが、ほぼ正方形プランの穹窿式石室です。埴輪、副葬品は不明ですが、石室の形態から、六世紀後半頃の築造と思われます。

天井が開口した石室、左が奥壁方向

奥壁の上部


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