姫路市丁(よろ)古墳群


丁瓢塚古墳 【管理人推薦】【国史跡】

 姫路市勝原区丁の県道421号線沿いにある全長104mの前方後円墳です。市内では壇場山古墳に次ぐ大きさで、平地に築かれていることから、私が中学生の頃には、中期の前方後円墳と考えられていました。しかし、現在は前方部がバチ形に開いた形態や、古式の壷形特殊土器が出土したことから、最古級の古墳と考えられています。葺石、埴輪が確認でき、かつて後円部の南縁に板石を積んだ竪穴式石室の一部が露出していましたが、現在は一部の石材が見えているだけです。

側面より、左が後円部

前方部より、後円部

実測図

かつて露出していた竪穴式石室(10年以上前の画像)


丁古墳群

 ■勝山町支群10〜14号墳

 丁瓢塚古墳の東の住宅地内の公園にあります。宅地開発で丁古墳群のほとんどが調査後破壊されましたが、公園内の10〜14号墳のみ現地保存されています。北側に大きな円墳3基、南側に小円墳2基が東西に並んでいます。中央の10号墳は径15mの円墳で、横穴式石室の天井石が露出、内部は完全に埋まっています。東端の11号墳は径15mの円墳ですが、方墳かもしれません。横穴式石室が露出し、奧側から玄室内部を覗けます。南東の12号墳は径8m、南西の13号墳は径10mほどの小円墳で、ともに天井石が露出していますが、内部は埋まっています。西端の14号墳は径18mの円墳で、横穴式石室が開口。玄室には家形石棺の石材が残っていますが、柵で入口は閉ざされています。

中央の10号墳

10号墳、天井石露出

東端の11号墳

11号墳、玄室奧から

南東の小円墳、12号墳

12号墳、天井石露出

南西の小円墳、13号墳

12号墳、石室正面

西端の円墳、14号墳

14号墳、玄室奥壁と家形石棺

 ■山頂支群 【管理人推薦】

 勝山町支群の北側の尾根上に残る群集墳です。幼稚園の裏から登山道を登っていくと、古墳巡回コースに沿って、古墳が点在しています。丁山3号墳は、前方後円墳で、前方部、後円部それぞれに横穴式石室の巨大な天井石が露出しています。

3号墳前方部、石材が露出

3号墳後円部、石材が露出

 丁山4号墳が現在1号墳に名称変更されています。全長28mの前方後円墳で、前方部、後円部にそれぞれ横穴式石室が開口しています。後円部石室は奥壁天井付近が失われていますが、それ以外は完存。全長7.3m、玄室は長さ3m、幅2m、高さ2.2m以上の右片袖式で、小型の石材を持ち送って高く積み上げています。前方部石室は全長7.3m、玄室長3.1m、幅1.9m、高さ1.6m以上の右片袖式で、やや大きめの石材をあまり加工せず積み上げていて、後円部石室よりは新しい形態です。六世紀中頃に後円部、その後、前方部の石室が築かれたと思われます。

1号墳後円部石室正面

1号墳後円部石室羨道

1号墳後円部石室玄室奥壁

1号墳後円部石室奧から玄門方向

1号墳後円部墳頂に石室天井部露出

1号墳後円部より前方部

1号墳前方部石室開口部

1号墳前方部石室玄室奥壁

1号墳前方部石室奧から玄門方向

 丁山5号墳も、現在2号墳に名称変更されています。山道に面して横穴式石室が開口、小さな石室ですが、玄室内に竜山石製のくり抜き式石棺の身が安置されています。1.25×0.58×0.44mの外寸で深さは0.2mです。小さいため、子供用かもしれません。六世紀後半〜七世紀前半の築造です。

新2号墳、石室正面、崖のため、あまり下がれない

玄室奥壁と石棺身

奧から

くり抜き式石棺の身

 山頂古墳は、封土が失われ、横穴式石室の石組みが露出しています。羨道長4m、幅1.2m、玄室は1.8×2m正方形プランで天井が3.5mと高く持ち送りが急な窮窿式石室です。六世紀後半の築造です。

山頂古墳、天井部の石組みが露出

山頂古墳石室正面

山頂古墳玄門

山頂古墳石室玄室奥壁

  ■丁薬司古墳

 京見山の西端の尾根先端、麓の薬司神社右手の墓地から尾根まで登り、左へ100m進んだ位置にあります。石室の天井石が露出し、前壁の上部が石を抜かれていますが、全体的に良く残されています。全長7m、玄室長4m、幅2.5m、高さ2.5m以上、羨道長3m、幅1.3m、高さ1.8mの左片袖式です。持ち送りが急で、袖部が広く、古式の形態を示しています。

天井石が露出

玄室奥壁

奧から、前壁が抜かれている


山戸古墳群

 ■山戸4号墳

 丁古墳群から谷間の住宅地を挟んで南側の尾根上には山戸古墳群18基が分布しています。南側の山麓にある春日神社から登った尾根上に4号墳があります。全長28mの前方後円墳で、後円部の中央に二基の埋葬施設が設けられています。西側の第一主体部は1.9×1.3mの竪穴式石室で、朱に塗られ、讃岐産の大型の壷が出土しました。この壷は棺として使用されたと思われます。東側に隣接する第二主体部は一辺0.7mの石囲い施設で棺と思われる土器片が出土しています。これらの土器片は三世紀前半のものであり、麓にある丁瓢塚古墳よりもさらに古い時期に築かれたと思われます。

埋葬施設のある後円部側

埋葬施設の復元図

左が第一主体、右が第二主体

第一主体の竪穴式石室

 ■山戸10号墳

 4号墳から急な山道を登っていくと、途中に10号墳があります。横穴式石室の天井石が露出しています。玄室付近がかろうじてわかります。そのすぐ先にも天井石が露出していますが古墳名が不明です。

天井石が露出

横穴式石室正面側

玄室付近

10号墳のすぐ先にある横穴式石室

10号墳のすぐ先にある横穴式石室、正面側

 ■山戸13号墳

 10号墳からさらに尾根道を進むと、途中、小石室や大型の石材が散乱する場所があります。その先にある13号墳は横穴式石室が崩壊して露出しています。

13 号墳玄室付近、崩壊している

13号墳石室正面

13号墳手前の小石室?

13号墳手前の石室材か?

 ■名称不明墳

 鉄塔の手前、ピーク付近には名称不明墳が続きます。その1は石材散乱、その2は天井石が露出、その3は天井を失った窮隆式石室の内部が露出しています。

名称不明墳1、石材散乱

名称不明墳2、天井石露出

名称不明墳2、玄室付近

名称不明墳3

名称不明墳3、窮隆式石室露出、側壁

名称不明墳3、石室正面

 ■山戸11、12号墳

 鉄塔の手前に11号墳がありますが、埋葬施設があるのか不明。鉄塔の先にある12号墳は箱式石棺が露出しています。

11 号墳

12号墳箱式石棺


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