姫路市姫路城石棺群


 世界遺産・姫路城の城郭としての主要な部分は、姫山という独立丘陵の地形を利用して築かれています。築城の歴史は古く、南北朝の頃にはすでに砦が築かれ、戦国時代に羽柴秀吉、安土桃山時代に池田輝政によって城郭が築かれ現在の姿になりました。城郭がほぼ丘陵全体をカバーしていますので、築城によって丘陵内にかつて存在していた古墳群が根こそぎ破壊されたと思われます。そして、それらの古墳から掘り出された石棺群が、城内のあちらこちらで見ることができ、今や、日本最大の石棺の集積地となっています。

桜門石棺

 姫路城の大手門に当たる桜門(門そのものは新しい)の向かって左側の石垣のコーナーの真ん中に巨大なくり抜き式石棺の身が使用されています。225×105×97cmの大きさで、くり抜き部を下に向けています。もちろん竜山石製です。二つ上の石には斧の刻印があります。

向かって左側の石垣コーナー中央にあります

隙間から内側のくり抜きがわずかに見られます

天守の庭石棺

 桜門から三の丸広場を通って有料入城口まで進み、入城せずに右の方の広場に行くと、天守閣の礎石を復元した庭があり、天守の庭と呼ばれています。庭の周りが低い石垣で囲まれていますが、この石垣の中にくり抜き式石棺の身が四個も使用されています。南西コーナーの石棺材は115×80×70cmの大きさです。南東の石棺材は117×75×55cmの大きさで、元々備前丸にあったのを移してきた物です。北東コーナーの石棺材は100以上×80×45cmの大きさで、下部が埋まっていて全長はわかりません。南側の石垣の中にも一個あり、200×80×80cmの細長い身です。

南西コーナーの石棺材

南東コーナーの石棺材

北東コーナーの石棺材

南側の石棺材

チの櫓下石棺

 天守の庭の北のチの櫓石垣下に、家形石棺の蓋の一部と、くり抜き式石棺の身が置かれています。家形石棺蓋は幅85cm、元、チの櫓にあったもので、一部しか残って居ませんが、肉厚で大きな縄掛突起が残っていて、元は立派な蓋石だったと思われます。石棺身は205×110×60cmの大型で、蓋石との継ぎ目が二段に加工された複雑な構造です。

左に石棺身、右に家形石棺蓋石

蓋石の大きな縄掛突起

くり抜き式石棺身

複雑な二段の印篭継ぎ目

チの櫓下西側の庭園石棺

 チの櫓下のすぐ西側に、小さな庭園があり、石棺材が1個埋まっています。露出した部分は幅70cmで、かすかに溝が残っているので底石か側石と思われます。

庭園の一部と化しています

丸みを帯びた加工

るの門石棺

 有料入城口から入城し、菱の門をくぐると、道は正面と左右の三方向に分かれます。右に進むと石垣の中を潜る「るの門」があり、潜った目の前の石垣の上に家形石棺の蓋石が組み込まれています。石垣に合わせて破壊されていますが、加工された部分は明瞭に残っています。幅93、厚さ20cmの薄く新しい形態です。

一目でわかります

かなり薄い

ぬの門石棺

 るの門からすぐにぬの門を入ると、右側の渡櫓の前に3体の石棺材が置かれています。いずれも他の場所から移設されたもので、右端の組合せ式石棺の底石は元、菱の門にあったもので175×100×20cmの大きさです。惜しいことに一部割れています。大小2つあるくり抜き式石棺の身は、ともに備前丸の石垣から移された物です。中央の身は170×70×55cmの大きさ、左側の身は215×105×80cmの大型石材で、現在備前丸の石垣にはダミーの石材がはめ込まれています。

屋根の下に移設

底石

大小のくり抜き式石棺身

左側はかなり巨大です

備前門石棺

 ぬの門から、お菊井戸、りの門を進むと、左側が備前丸の石垣です。上の方の、ぬの門の石棺身があった場所に現在、ダミーの四角い石材がはめ込まれています。その先、備前門前の石垣コーナーにくり抜き式石棺身が使用されていて、これは説明板があるので、すぐわかります。195×105×70cmの大きさで、すきまからわずかにくり込みが見えます。備前門の向かって右側にも大きな石棺身が使われています。200×115×75cmの大きさで、他の石材が小さいので、ひときわ巨大さが目立ちます。

先ほど、ぬの門にあった石棺身の元の位置

備前門前の石棺身

備前門前の石棺身横から

備前門横の石棺身

水三門石棺

 備前門を潜ると、天守閣の下の備前丸に出ます。天守閣への入口から、中へ入らず、反対方向に行くと、水三門があり、門をぬけたところに家形石棺の蓋石が置かれています。幅95cm、厚さ19cmの薄い石材で、ほぼ半分に割られています。縄掛突起が退化したモダーンなデザインです。

門のすぐ先にある

すっきりしたデザイン

はの門内石棺

 はの門の内側の塀が途切れたところにテラスがあり、そこの石垣に家形石棺の蓋が使用されています。125×62.5×20cmの大きさでくり込みが良く残っています。ここの石垣は高さが20mくらいあり、下側からはまずわかりません。

高い石垣の天辺にあります

望遠で下から見たところ

ろの門内石棺

 ろの門の内側に武者溜まり状の広場があり、その石垣の一つに石棺の身が使われています。長さ120cm以上、幅65cm、高さ35cmの大きさですが、くり抜きが大変浅く、本当に石棺の身なのか?少し疑問の残るところです。

普通に通り過ぎると、全然気付かない

横から見ると、わかります。

下山里東石棺

 下山里の東側の石垣の中程に、組合せ式石棺の底石があります。良く見ると下側に溝があるのが見えます。また、望遠で見ると、朱も塗られているようです。

どれかわかりますか?

溝が見えます

その他の怪しい石棺材

 石棺材かどうか確定できませんが、怪しい石材は他にもあります。

下山里の石垣下に置かれた石材、短側石か?

りの門の柱礎石、真四角で扁平な石材、側石か?

備前丸の石垣、溝加工され、朱が残っている石材

ろの門とはの門の間の石垣の四角い石材、側石か?


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