広島県竹原市・三原市(旧本郷町・三原市)の古墳
◆横大道古墳群 【管理人推薦】【市史跡】
竹原市新庄町、東鷺森山の麓に11基の古墳が分布しています。国道432号と2号線の新庄町交差点の北東1kmの丘陵斜面にあり、標識から少し登ると1、2号墳が隣接して開口しています。1号墳は群中最大の石室を有し、全長9.4m、玄室幅2m、高さ3m、羨道幅1.6m、高さ1.9mの右片袖式です。袖部には柱石を立て、右側壁をやや持ち送り、奥壁は巨石二段積み、背の高い天井は三枚で構築しています。2号墳はすぐ南に隣接し、双室墳との説もあります。石室はやや小さく、全長6.6m、玄室幅2.4m、の右片袖式で、奥壁は小型の石材を積み上げ、側壁の持ち送りも大きく、天井も低くなっています。
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横大道古墳群の南2kmの西側丘陵斜面に開口しており、道からすぐわかります。墳丘はかなり流失し、現状で径5.5mの円墳です。横穴式石室は全長4.7m、幅1.7mの無袖式で、南東に開口しています。
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田万里小学校の北側、新幹線高架を越えてすぐ登り口があります。丘陵斜面から尾根上にかけて12基の箱式石棺と1基の石台があり、ABC三群に分けられます。石台は板石を並べた2.3m×1mの長方形で、もがり用の施設と考えられています。
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鏡田石棺群の近くで農作業中のおじさんに存在を教えてもらいました。石棺群登り口の東100mの林の中にあります。墳丘はかなり流失していますが、全長8mくらいの保存状態の良い石室が開口。これほどの古墳が知られていないのは不思議なくらいです。
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三原市(旧本郷町)、国道2号線沿い南方神社境内にあります。竜山石製の家形石棺で、分解されて踏み石や手水鉢に使用されていたのを、再び集めて、現状のように復元されました。
南方神社から2号線と平行して走る旧道を東へ500m、大日堂隣に1号墳の石室が開口しています。2001年の芸予地震で一部崩壊しましたが、現在は復旧工事が終了しています。切石の石室に竜山石石棺の身のみ保存されています。横穴式石室の玄室だけが残っていますが、長さ4.9m、幅2.1m、高さ2.15mの両袖式で、巨石が使用されています。玄室内に竜山石製の石棺の身が残されています。
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大日堂右側の山道を50mほど登ったところにあります。横穴式石室は入り口がやや埋まっていますが、玄室は完存、長さ5.1m、幅2.1m、高さ1.97mの規模で、奥壁、天井に巨石を使用しています。この古墳のものと伝えられる家形石棺蓋が大日堂庭の碑台に転用されていますが、確証はありません。
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三原市本郷町南方、貞丸古墳群の東300m、国道2号線から石室が見えています。丘陵南斜面に築かれていますが、墳丘は早くに開墾されて不明です。横穴式石室は南に開口し、花崗岩の切石で築かれた全長10.8m、終末期の整美な石室です。側壁、奥壁は一段、玄室は幅2m、高さ2.2mの規模で、柱石と横石で前後に二分され、それぞれに花崗岩製のくり抜き式家形石棺が納められています。石材の組合せ方や閉塞部の加工に細かい細工が見られ、大和の影響を強く受けています。
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三原市本郷町下北方、本郷中学校の北西、山王神社の西に開口しています。墳丘は開墾により、まったく原型を留めて居ませんが、横穴式石室はほぼ完存しています。全長13.3m、玄室長7m、幅3m、高さ4.2mの両袖式で、広島県最大の巨大石室です。玄室と羨道の間は柱石と天井の高さで区別していますが、入り口部が狭くなっているので、複室構造なのかも知れません。規模、構造とも大和に匹敵する巨石墳です。
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三原市沼田西町松江、2号線を東へ進み、本郷大橋の手前で南へ曲がり、しばらくいくと左手に常盤神社の石段が見えています。ここの境内に溜箭古墳の家形石棺の蓋石が手水鉢に転用されています。古墳はすでに消滅。道路をさらにすすんで右折したところに長円寺があり、石棺の身はこちらにあります。各辺に沿って一条の沈線が刻まれ、四隅に脚が作り出されています。竜山石製です。
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