兵庫県たつの市(旧揖保川町北部)の古墳


明覚寺石棺 【市指定文化財】

 旧揖保川町半田の集落内にある明覚寺の境内にあります。大型の家形石棺の蓋石と底石が庭石として配置されています。底石は1.7m×1mほどの大きさ、蓋石もほぼ同じ幅なので、元々セットであった可能性が高いと思われます。

右が底石、左が蓋石の一部

蓋石の反対側


養久山古墳墓群 【1号墳が県史跡】

 旧揖保川町と旧龍野市との境に位置する養久山尾根筋に分布する古墳墓群で、前方後円墳2、双方中方墳1を含む38基からなります。1号墳は前方部がバチ形に開いた前期の全長30mの前方後円墳で墳丘裾に列石が巡っています。主体部は竪穴式石室1、箱式石棺5からなります。2号墓は弥生後期の径9mの墳丘墓で2基の箱式石棺が露出しています。5号墓は弥生後期の中方双方形墳墓で、中心から壷棺が見つかっています。18号墳は古墳前期の全長30mの前方後方墳で、壷棺が検出されています。20号墓は弥生後期の径15mの墳丘墓で箱式石棺の一部が露出しています。

  分布図

1号墳後円部

1号墳前方部、バチ形に開く

2号墓の箱式石棺

5号墓、中方双方形墳墓

18号墳、前方後方墳

20号墓の箱式石棺

 ■養久山19号墳

 養久山の南西の麓からの登り口南にある小さな独立丘陵上にあります。尾根上の古式の古墳墓群とは性格が異なる後期古墳で、墳丘は原型を留めていませんが、前方後円墳と思われます。南北に長く、西向きに2基の横穴式石室が開口する双室墳です。北側の石室は比較的保存が良く、全長約6m、玄室幅1.7m、高さ1.7mの右片袖式で、石材は小さめです。南側の石室は封土を失って石材が露出しており、内部はかなり埋まっています。

左手前が北石室、右奧が南石室

北石室玄室奥壁

北石室奧から外

南石室


龍子三ツ塚1号墳

 旧揖西町龍子と揖保川町との境界線上、養久山の西隣りの丘陵の東先端部にあります。1931年に京都大学・梅原末治博士によって調査され、三角縁神獣鏡二面が出土しています。2007年に、墳丘の形態・規模・構造を確認するための調査が実施されました。その結果、墳丘は前方部がバチ形に開く全長約35mの前方後円墳と判明し、三段に築かれ、各段を列石が巡っていました。これらは讃岐地方に多い形態であり、隣接する養久山1号墳とも共通します。墳丘上からは竹管文を有する壷、器台が出土、これらは山陰地方に起源を求めることができます。埋葬施設は板石で築かれた竪穴式石槨で、三角縁神獣鏡片、碧玉製管玉、鉄刀、鉄鏃、鉄斧、鉄鎌、ヤリガンナが出土しました。土器や副葬品から、築造時期は前期中葉と確定しました。保育社「日本の古代遺跡」では、5号墳となっています。

主体部の周りに板石を積むのも四国によくある構造

竪穴式石槨

三段に築かれた前方部、列石が良好に残る

前方部の端、バチ形に広がる


袋尻浅谷古墳群 【3号墳出土品が市指定文化財】

 旧揖保川町袋尻浅谷、県道441号線沿いにあり、元々、弥生時代の墓16基、古墳6基(横穴式石室3、箱式石棺2)が存在しましたが、県道工事で、古墳1基を残してすべて破壊されました。現在、集落にある浅谷墓地内に5号墳が保存されていますが、薮に覆われて、見学は困難です。消滅した3号墳は、石室の上部が失われていましたが、全長9.5mの大型石室で、閉塞石も良好に残っていました。

分布図、右端の5号墳のみ保存

丘の上に5号墳、手前の石は石材か?


黍田古墳群 【管理人推薦】

 旧揖保川町黍田、神部小学校の隣りに福祉施設「サルビアの家」があり、その道路をはさんで向かいの林の中にあります。切り通しの手前に標識が建っていて、そこから右の林の中へ入っていくと8号墳、左の階段を登っていくと市史跡12号墳があります。8号墳は径15mくらいの円墳ですが、横穴式石室がほとんど露出しています。全長6.2m、玄室長3.8m、幅2m、高さ2.3m、羨道幅1.3m、高さ1.3mの両袖式で、側壁には持ち送りが見られます。12号墳【市史跡】は、保存状態の良い径15mくらいの円墳で、横穴式石室は全長6.1mで墓道がついているかも知れません。玄室長3.3m、幅1.9m、高さ2m、羨道幅1.1m、高さ1.2mの左片袖式で、玄室奥の天井が一段低くなっています。持ち送りが顕著で、石材も小型で8号墳よりは古いと見られます。11号墳はサルビアの家の前の町道建設で、消滅し、現在石室が神部小学校裏のどんぐり広場に移築されています。上半分を失っていますが、全長7m、玄室長3m、幅1.6m、羨道幅1.2mの左片袖式です。

   分布図

8号墳、石室が露出している

8号墳奥壁

8号墳、玄門部

12号墳

12号墳奥壁

12号墳玄門部

11号墳

11号墳

 8号墳の東50mの薮の中に6号墳があります。径13mの円墳で、群中では最大の横穴式石室が南に開口、全長10.5m、玄室長4.6m、幅2.1m、高さ2.5m、羨道幅1.4mの左形袖式で、玄室の天井石が落ち込んでいますが、比較的保存状態は良好です。すぐ後ろの斜面に、7号墳がありますが、径13mの円墳で、石材が散乱している程度です。

6号墳

6号墳玄室奥壁方向、天井石が落下

6号墳奧から玄門方向

7号墳

 6号墳の南東に5号墳があります。径10mの円墳で、石材が露出しています。その北東に1、2、3号墳が横一線に並んでいます。1号墳は横穴式石室の下側が露出、全長6.4m、玄室長3.3m、幅1.7mの規模です。東となりの2号墳は、径12mの円墳で、横穴式石室がほぼ完存。全長6.6m、玄室長2.7m、幅1.5m、高さ1.6m、羨道幅1.1mの小型の石室で、羨道部は埋まっています。隣の3号墳は径9mの円墳で、横穴式石室は羨道が埋まっていますが、玄室は完存。全長4.4m、幅1.1m、高さ1.2mの小さな石室です。

5号墳

1号墳

2号墳

2号墳石室内部

3号墳

3号墳石室内部

 1、2、3号墳の背後に、4、13、14号墳が同じように横一線に並んでいます。左端の4号墳は現存長3.3m、幅1.3m、高さ1.3mの横穴式石室が開口していて、内部には石棺材が残されています。隣の13号墳は、径12mの円墳で、薮に覆われていますが、石室がわずかに開口しており、隙間から小型の石室が確認できます。14号墳は径12mの円墳で、横穴式石室は全長5.5m、幅1.2m、高さ1.3mの小石室ですが、石棺材が残されています。

4号墳

4号墳石室内部、石棺材が残っている

13号墳

13号墳石室内部

14号墳

14号墳石室内部、石棺材が残る

 3号墳の南東30mに10、9号墳が隣接しています。10号墳は径12mの円墳で、横穴式石室の天井石が散乱しています。9号墳は径10mの円墳で、横穴式石室は半壊していますが、全長6.7m、玄室長3.1m、幅1.65m、羨道幅1mの規模で、奥壁などは良く残っています。

10号墳

9号墳石室の奥壁付近


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