三重県伊賀市(旧上野市)北部の古墳


御墓山古墳 【管理人推薦】【国史跡】

 旧上野市佐那具の国道25号線南側にあります。三重県最大の前方後円墳で全長188m、後円部径110m、前方部幅80mの二段築成ですが、平野に面した前方部は、下方の地山にも葺石を施して一見三段に造られたようにしています。また、後円部の北西側に造出しが張り出しています。墳丘の保存状態は非常に良く、特に丘陵から切断された後円部側は周溝も含め、良好に残っています。

前方部側

後円部側、左が周濠


勘定塚古墳 【管理人推薦】

 関西線佐那具駅の裏、山麓の民家の裏に存在する伊賀最大の巨石墳です。墳丘、石室ともに半壊しており、玄室現存長4.7m、奥壁幅3.6mで特に天井石の巨大さは大和の巨石墳に匹敵します。完存していないのが惜しい古墳です。七世紀前半の築造とみられます。

石室正面、天井石が巨大!

石室内部、奥壁はややしょぼい

左側壁

石室背後から


浅子谷古墳群

 伊賀市三田、伊賀上野駅の北1kmの谷間に築かれた古墳群で、2008年度に国道422号線三田坂バイパス工事に伴い、3号墳を調査、隣接して新たに4、5号墳が発見されました。3号墳は径14mの円墳で、墳丘、周溝、横穴式石室がほぼ完存していました。石室は玄室長4.3m、幅2.2m、高さ2.3m、羨道長4.7m、幅1.2m、高さ1.4mの右片袖式で、小型の石材を持ち送り、床には仕切石、敷石が残っていました。出土品から六世紀後半と推定されます。4号墳は径7mの円墳で、横穴式石室は3.2m×1.2m、すぐ隣りの5号墳は径5mの円墳で、石室は2.4m×0.8m、いずれも小さく、基底部だけが残っていました。出土品から七世紀前半の築造と思われます。

3号墳

3号墳石室内部

4号墳

5号墳

 2009年度には引き続き、1、2号墳が調査され、その周囲から新規に6〜10号墳の小石室群が発見されました。1号墳は径12mの円墳で、山側は周溝で区切り、谷側は外護列石で土砂の流出を防いでいます。横穴式石室は天井石を失っていますが、玄室長3.6m、幅1.4m、高さ2.4m、羨道長4.2m、幅1mの右片袖式です。2号墳は径14mの円墳で、石室は元から開口していましたが、玄室長4.2m、幅2.2m、高さ2.7m、羨道長5m、幅1.6mの右片袖式で、玄室は敷石も含めて完存、伊賀でも有数の大型石室です。1号墳南にある6号墳は2.5m×1.1mの小石室で床面には遺物が良く残っていました。隣りの7号墳は1.2m以上×0.4mの超小型石室、8号墳は1.4m×0.7m×0.9mの小石室が未盗掘で完存していましたが、遺物は鉄鏃3個だけでした。棺台が原位置に残っています。9、10号墳も小型の石室で、調査区外にまたがるため未調査で保存されることになりました。

1号墳、谷側に外護列石が巡る

1号墳玄室

2号墳

2号墳玄室

6号墳

7号墳

8号墳

9号墳

10号墳


東条古墳群

 伊賀市東条屋敷ノ下にあります。2012年に集落北側の斜面の地すべり対策工事の際に、1号墳が発見され緊急調査されました。尾根先端に築かれた径10mの小円墳で、埋葬施設が3基あり、そのうち2基から豪華な副葬品が出土しました。埋葬施設1は六世紀前半の木棺直葬で、6.4×1.8×0.7mの墓坑に5.8×0.8mの割竹形木棺が納められ、棺内に鉄刀1、鉄鏃5、刀子2、棺外に祭祀用の須恵器が置かれていました。埋葬施設2は六世紀前半の木棺直葬で、5.4×1.8×1.0mの墓坑に4.6×0.5mの割竹形木棺が納められ、棺内に四獣鏡1、銅釧1、石製首飾り、ガラス製小玉の腕輪、ガラス製粟玉200以上、刀子1、須恵器1、棺外に祭祀用の須恵器が置かれていました。副葬品の内容から、1は武人、2は女性が被葬者と考えられます。また、埋葬施設3は横穴式石室ですが、今回は未調査です。六世紀前半の小円墳から豪華な副葬品が良好な状態で出土したのは東海では初めてで、かなりの有力者の墓と思われます。尾根の上部からは、さらに2基の古墳が確認されています。このうち、3号墳では、小型の横穴式石室が露出しています。

1号墳、右が埋葬施設1

2号墳

3号墳、横穴式石室露出

埋葬施設2の副葬品・四獣鏡

埋葬施設2の副葬品・首飾り、勾玉は翡翠製

埋葬施設2の副葬品・メノウ勾玉

 

埋葬施設1出土鉄刀の柄の部分

 埋葬施設1出土鉄刀に付着した黒漆

埋葬施設1の墓上祭祀に6個並べられた須恵器


上野城下町遺跡

 伊賀市上野農人町、2012年に国道25号線の拡張工事に伴い、上野城下町遺跡を発掘調査したところ、近世の遺構の他に3基の古墳が検出されました。1、2号墳はいずれも径13mの円墳で、幅3mの周溝の一部が見つかっただけですが、状態の良い須恵器が出土し、五世紀中〜六世紀初め頃の築造とわかりました。3号墳はすでに半分以上が破壊された状態でした。

調査地、手前から1、2、3号墳

1号墳

2号墳

3号墳


<ホームへ戻る>

inserted by FC2 system