長野県飯田市南部(竜丘地区)の古墳
◆塚越1号墳
飯田市駄科346-1、法華堂の背後にあります。お堂や畑で墳丘が少し削られていますが、全長73mの前方後円墳です。横穴式石室が開口していて、おかん塚、馬背塚前方部と同形態の両袖式石室らしいのですが、入り口が狭く、泥だらけになるのが確実だったので、内部に入るのはあきらめました。
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飯田市桐林塚原地区の台地上に存在し、かつて16基の古墳がありましたが、現存6基です。前方後円墳1、帆立貝式3、ほかは円墳からなります。塚原二子塚古墳【国史跡】は全長73m、後円部径37.5m、前方部幅41mの前方後円墳で、周溝があります。主体部は不明で、五世紀後半の築造と考えられています。鎧塚古墳【国史跡】は全長45mほどの帆立貝式古墳で、横矧板鋲留短甲が出土したため、鎧塚と呼ばれています。鏡塚古墳【国史跡】は全長45mほどの帆立貝式古墳で、葺石、周溝が確認されています。
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塚原古墳群のすぐ南の低い台地に金山古墳群があります。主墳である二子塚は飯田市上川路19-1にあり、墳丘が畑となっています。長さ63mの前方後円墳で、前方部は消滅、後円部に小さな社が建っていて、その下に横穴式石室が開口しています。かなり土砂で埋まっていて、内部に入るのは困難です。前方部にも石室があったようです。
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飯田市上川路284、国道151号上川路交差点北側の台地先端に所在する全長46m、後円部径19m、前方部幅20.8mの前方後円墳で、後円部、前方部それぞれに巨石を使った大型の横穴式石室があり、南に開口しています。後円部石室は全長11.7m、玄室長8.4m、幅2m、高さ2.7m、羨道長3.3m、幅1.86m、高さ1.4mの無袖式で、側壁は垂直に近く、天井石の高さで羨道を区別しています。前方部石室は全長11.9m、玄室長6.4m、幅3.2m、高さ3.3m、羨道長5.5m、幅2m、高さ1.6mの両袖式で玄室断面は台形をしています。時期的には後円部石室が先行します。なお、説明板は、平家蟹氏の指摘のためか、墳丘の下に新設されていました。
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飯田市上川路19-1、馬背塚古墳のすぐ西の農道沿いにあり、農道と水路で石室が破壊され、玄室の奥側しか残っていません。奥壁の幅、高さとも1mほどの小石室です。
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飯田市上川路882-1、国道151号上川路交差点すぐ南にある全長66m、後円部径31mの前方後円墳で、墳丘は墓地になっていますが、石室には南側の民家の庭を通らせてもらって見学できます。横穴式石室は地表面から4.8mの高さに開口し、全長13.01m、玄室長10.3m、幅2.1m、高さ2.9m、羨道長2.75m、幅1.5m、高さ0.6mの無袖式で、羨道部は天井を低くして区別しています。馬背塚古墳後円部石室と構造は共通しています。円筒埴輪、形象埴輪のほか、銅鏡、武具、馬具、装身具などが出土、六世紀中頃の築造と思われます。
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