和歌山県印南町・みなべ町の古墳


■印南町

崎山14号墳(切目崎塚穴) 【管理人推薦】【県史跡】

 印南町島田、国道42号線沿い、切目崎バス停の少し北(ローソンの斜め向かい)にあり、大きな標柱が建っているのですぐわかります。海に突き出た切目崎の高台にある径14m、高さ2.5mの円墳で、保存状態の良い横穴式石室が南に開口しています。全長6m、玄室長2.65m、幅2.18m、高さ2.25m、羨道長1.9m、幅1.4mの両袖式で、袖部には柱石状に袖石を立て、その間に敷石を置いています。奥壁と側壁はすぐそばの海岸から運ばれた砂岩を持ち送りながら積み上げ、前後の天井石を迫り出してその上に1枚をかぶせています。このような天井の構築法は徳島県の吉野川中流域にルーツが見られます。6世紀末頃の築造です。

羨道部

羨道から玄門部

玄室奥壁

奥から玄門部、羨道の前は墓道状になっている


崎山18、19号墳 【町史跡】

 印南町島田、町の中心部から国道42号線を南に向かい、切目崎への登りにさしかかる信号交差点に宗教法人弘竜庵の駐車場があります。その道路を挟んだ向かいの保安林の中に入るとすぐ左に18号墳、右に19号墳があります。14号墳の北1kmくらいです。海を望む海岸段丘上に築かれていて、18号墳は、径8mの円墳、横穴式石室の基底部のみが残っています。玄室長2m、幅2m、羨道長2.5m、幅0.7mの両袖式で、板状の袖石が立てられ、石材は海岸で採取できる小さな砂岩を使用しています。19号墳は径12mの円墳で、未調査のため主体部は不明ですが、墳丘の保存状態は良さそうです。

18号墳、石室正面より

18号墳、奥から玄門部

19号墳


■みなべ町

小目津古墳 【町史跡】

 みなべ町小目津の紀州南部ロイヤルホテル下の海岸段丘南斜面にあります。場所がわかりにくく、案内板が一切ないので、見つけにくいのですが、小目津公園の西駐車場から、一旦、海岸に降りて、右手の谷間の右端を、ホテルの教会の下あたりをめざして少し登ったところにあります。海を望む径8mの円墳で、横穴式石室はわりと良好に残っています。全長約4.9m、玄室長約2.7m、幅1.5m、高さ1.9m、羨道長2.2m、幅0.9mの両袖式で、袖部には柱石を立て、海岸から調達した石材を使用しています。

石室正面

玄室

玄門部、奥より

古墳の立地、ホテルの教会の下(矢印の場所)


東岩代古墳群 【町史跡】

 みなべ町東岩代、JR岩代駅東200mの線路沿いに天神社があり、その隣の林の中にあります。鉄道と海に挟まれた狭い段丘上に分布する群集墳ですが、鉄道建設と波の浸食で、かなりが破壊され、現在は3基ほどが残っています。現状は石室の石材がいくつか露出する程度です。

天神社と古墳群のある林、すぐ右は海

石材の露出する古墳


城山1号墳石棺

 城山1号墳は、みなべ町山内に所在した中期の円墳で、箱式石棺を有していましたが、消滅。現在石棺材が新福寺の境内で忠魂碑に転用されています。石碑の向かって右上には鉄剣の跡のサビが残っています。古墳からは銅鏡、直刀、銅鏃などが出土しました。

新福寺境内にある忠魂碑

鉄剣の跡のサビ


■田辺市

五反田古墳石室

 田辺市元町に所在した古墳ですが、宅地造成に伴い消滅。現在は横穴式石室が稲成町の高山寺境内に移築されています。元は径15mの円墳で、奧側のみ残存していた石室は玄室長2.5m、幅1.5mの規模です。鏡石以外は海岸にある石材が使用されています。床面から須恵器、土師器が出土し、六世紀後半の築造と思われます。

石室正面

奥壁と左側壁、石材は孔だらけ

左側より


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