愛知県犬山市の古墳
◆犬山市
■東之宮古墳 【国史跡】
犬山市白山平山の山頂にある全長78m、後方部幅48mの前期前方後方墳です。成田山大聖寺から登っていけます。墳丘、主体部とも保存状態が良く、昭和48年の調査で見つかった竪穴式石室は4.8×0.96mの規模で、内部は朱で彩られ、銅鏡11面、各種石製品(鍬形石、車輪石、石釧、石製合子)、鉄製品など豊富な副葬品(すべて重要文化財)が出土しています。また、2005年の調査では、墳丘の築造方法が明らかになり、山頂の岩盤を平らに削り、その上に盛り土で墳丘を築き、表面に葺石を敷き詰めた大規模な土木工事が行われていました。規模、副葬品ともに、前期尾張を支配していた首長墓に相応しい内容です。
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2012年度に、竪穴式石室の現況調査と保存処置を目的に再調査が行われました。内寸は4.8×1×1.2mで、側壁は板石を平積みしていますが、東の小口側側壁のみ、一枚石を下部に使用しています。床面には角礫を敷き詰めた上に粘土で棺台を築き、その上に木棺が置かれていたと考えられます。天井石は七枚で、その上を粘土で覆っていました。調査後、石室は再び埋め戻されました。
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犬山市犬山、成田山大聖寺の南西にある妙感寺の裏にあります。全長95m、後円部径52mの前方後円墳で、前方部は墓地になっています。未調査のため、主体部は不明です。四世紀後半の築造と思われます。
犬山市の南西端、県道176号線沿いにあります。全長123m、後円部径78m、前方部幅62mの愛知県では断夫山古墳に次ぐ規模の前方後円墳です。墳丘は基壇の上に後円部三段、前方部二段に築かれ、前方部上には低い壇があります。葺石を伴い、テラスには壷形埴輪が並べられていました。墳丘、空堀とも保存状態が非常に良好で、現在公園として整備復元され、一般公開されています。四世紀中頃の築造です。
■坂下2号墳
犬山市犬山にありましたが、現在石室のみ犬山市文化史料館に移築されています。七世紀後半の築造で、石室は全長2.2m、幅0.8m、高さ0.6mの終末期の小規模なものです。
犬山市内山にある入鹿池のほとり、博物館明治村の敷地内にあります。案内標識がないので、従業員でも知らない人がいるかも知れませんが、3丁目エリアの幸田露伴邸のとなりにひっそりと佇んでいます。見学に高価な入場料が必要という点では、おそらく国内トップクラスです。古墳だけでは、もったいないので、1日、明治村の近代建築を見学して回りました。古墳名は、蘇我入鹿とは関係がなく、江戸時代まで存在した入鹿村(入鹿池造営のために消滅)に由来します。径15mほどの円墳で、小型の横穴式石室が開口しています。内部はかなり狭いですが、保存状態は良さそうです。古墳をおとずれる観光客はほとんどいなさそうですが、これからも現状のままで、ひっそりと存在し続けてほしいですね。なお、明治のレシピで作ったという明治村のカレーパンはおすすめです。
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犬山市羽黒の白山神社境内にあります。径15mの円墳で、大正時代に横穴式石室が掘り出され、多数の須恵器が出土したと伝えられています。墳丘は大きく改変され、現在は社殿が建てられています。六世紀終わり頃の築造です。
■熊野神社古墳群
犬山市塔野地の熊野神社境内に存在した6基からなる古墳群ですが、現在は6号墳だけが残っています。6号墳は社殿の東側の林の中に、小さな祠が祭られた径5mほどの円墳です。鳥居の脇にも小さな石仏の置かれた墳丘の残骸のような物がありますが、古墳かどうか不明です。
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