長崎県諌早市南部の古墳
諌早市宗方町館で個人住宅造成中に石室が発見された古墳で、現在は小野町の小野小学校に移築されています。板石で奧・側壁を造り、玄門も板石で閉塞した石棺系の横口式石室で、玄室長2m、幅1.3m、玄門の板石の前に小さな羨道があります。床面には板石を敷いています。出土品は学校玄関に展示されています。
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諌早市長野町、小野小学校から南へ2km登っていき、光正寺の南400mの道路沿いにあります。標柱はありますが倒れていました。横穴式石室の右側壁と奥壁の鏡石が露出しています。道路の端にも埋まった石材が見えています。巨大な鏡石からみてそこそこ大きな石室だったと思われます。大正14年に調査され、馬具、武具などが出土しています。すぐ北側にも石室が道路の下に埋まっているそうです。
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諌早市森山町上井牟田838、柏原団地内の公民館後ろに説明板があり、その背後の山林内にあります。3基の積石古墳が残っていると書かれていますが、見つけたのは1基だけで、小型の横穴式石室が露出しています。団地下の県道124号線に標識が出ています。
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諌早市飯盛町後田2387、国道251号線に標識があり、そこから海へ向かって道なりに2km進んだ海沿いの高台にあります。圃場整備事業に伴い調査され、現地保存されました。海を望む高台に築かれた古墳ですが、周辺地形はまったく変わってしまっています。調査時、墳丘はすでに失われ、横穴式石室が露出、玄室長2.1m、幅1.4mの大きさで腰石と敷石だけが残っています。上部の石材は、戦前に特攻艇格納庫を造るために持ち出されたそうです。
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