徳島県石井町・吉野川市(旧鴨島町・山川町)の古墳


前山1号墳

 石井町石井字石井3040、徳島市の気延山から西へ連なる尾根上、前山の標高160mピークにあります。1994年に発見され、隣接して2号墳があります。ともに全長18mの前方後円墳ですが、1号墳は前方部がバチ形に開き、兵庫県の養久山1号墳に良く似ています。2号墳は、宮谷古墳の1/2の相似形です。1号墳は2001年に調査され、埋葬施設が明らかになりました。4.4m×2.5mの墓壙の壁面に緑泥片岩の板石を張り巡らし、床面に粘土を敷いた上に木棺を納め、その両側に板石を立てて石槨を形成しています。石槨の外側には石が詰められています。このような構造は、大和の発生期の古墳の竪穴式石室の祖形とも言われています。出土した土器片は宮谷古墳のものと類似していて、時期的には三世紀末〜四世紀初頭と見られます。

墓壙

後円部の葺石、全面に緑泥片岩が葺かれている


山ノ神古墳群1号墳

 石井町石井2429、旧農業大学校跡地の北東300mの丘陵先端にあります。これまで4世紀末頃の全長60mくらいの前方後円墳と思われていましたが、本格的な調査が実施されていませんでした。2014年に、範囲確認などのために初めて発掘調査が行われ、全長61mの前方後円墳らしいことがわかりました。葺石や埴輪は発見されていません。遺物がほとんどないので、築造時期も未確定です。

後円部

前方部の第4トレンチ

前方部から後円部

後円部から前方部


西宮古墳

 吉野川市旧鴨島町敷地、独立行政法人徳島病院の入り口左手の尾根上にあります。墳丘はすでに消失し、横穴式石室の基底部と、結晶片岩の玄門石4本が立ったままの状態で残っていて、本来は穹窿式の複室構造の横穴式石室だったと考えられます。後室長3.15m、幅1.55m、前室長2.05m、幅1.1m、羨道残存長0.56mの規模で、玄室の平面プランは胴張り・隅丸の忌部山タイプです。

石室正面より

側面より


忌部山古墳群 【管理人推薦】

 吉野川市旧山川町山崎字忌部山123、国道192号線から南へ標識に従って、山の中腹にある忌部神社まで行き、そこからさらに200mほど登ると、聖天寺があります。ここから徒歩で、600m急な坂道を登ったところにあります。5基からなる群集墳ですが、4号墳は全壊、5号墳は場所がよくわからず、見学できたのは3基のみです。。1、2号墳が隣接していて、やや降ったところに3号墳があります。この3基はすべて径10mほどの円墳で、横穴式石室を主体部としています。石室は「忌部山型石室」の指標となるもので、玄室の平面プランが胴張り・隅丸で天井は穹窿式という特徴があり、多くは群集墳を形成しています。

 1号墳

 横穴式石室がすでに消滅していますが、調査の結果玄室長2.75m、最大幅1.4mの規模で、結晶片岩を小口積みしています。小竪穴式石室を付設しているということですが、これもよくわかりません。

左が2号墳、右が1号墳

1号墳の石室の跡

 2号墳

 横穴式石室の保存状態が最も良く、玄室長3.38m、幅1.92m、高さ1.99mの胴張り・隅丸で、天井は奥壁、玄門両側から天井石を持ち送っています。また、玄門のすぐ前に閉塞石が残っています。

石室正面

玄室奥壁、隅丸状態や天井石の持送りがよくわかる

玄門

玄門部のすぐ前に閉塞石が残る

 3号墳

 横穴式石室の天井石がぬかれ、羨道部が破壊されていますが、構造は良く残されています。規模は、2号墳よりも一回り小さく、天井の持ち送りもやや緩い印象ですが、奥壁には隅丸が認められます。

石室正面

羨道から玄門部、かなり狭い

奥壁、やはり隅が丸いです

天井から玄室内を覗けます。床には敷石があります


金勝寺古墳

 吉野川市旧山川町西麓、忌部神社の西1kmの山麓にある金勝寺の東の墓地にあります。横穴式石室が西に開口していますが、奥壁側の天井石が抜かれて、そこから石室内に簡単に入ることができます。玄室は胴張り、隅丸、穹窿式天井で忌部山型石室の特徴を示していますが、平面プランは細長く奥側ほど膨らんでいて、天井の持ち送りも緩やかです。

奥壁天井が抜かれている

羨道

奥壁

奥より玄門


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