熊本県玉名市石貫ナギノ横穴墓群南地区
玉名市(旧)石貫後田2386、県道4号線に標識が出ています。県道から左折して川を渡り、集落入口の右側の小道を右折すると駐車場があります。小道は狭いので注意。台地東側の崖面250mに渡って48基の横穴が築かれ、うち15基に装飾が認められます。現地は見学しやすく整備されていますが、熊本地震で一部の横穴が崩れたため、充分な注意が必要です。
駐車場のすぐ先に横穴墓群の入口があり、階段を登ると左側に1、2号墓があります。1号墓は玄室内に見事な石屋形が浮彫で表現されています。2号墓の玄室は家形にデザインされています。3号墓は入口がわずかに開いているだけで、熊本地震の影響で、近寄れなくなっています。
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少し離れて4〜21号墓が密集しており、このエリアに装飾横穴も多数分布しています。4〜6号墓はいずれも高い位置に開口しています。4号墓は小横穴墓。5、6号墓は隣接していて、5号墓は小さな飾り縁がついています。6号墓は二重の立派な飾り縁をもち、外側飾り縁の外面には線刻と赤い彩色で二重の同心円紋が描かれ、三角紋も少し見られます。内側の外面には赤い彩色で小さな円紋が描かれています。
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6、8号墓の間にある7号墓は破壊され、奥壁しか残って居ません。となりの8号墓は、群中、最も見事な装飾を持つ盟主墓的存在で、線刻、浮彫、彩色がすべて揃っています。羨門と飾り縁の外面には線刻で同心円紋、菱形紋を描き、赤色で塗り分けています。玄室奥壁には石屋形が作られ、左右の柱と軒下には連続三角紋が、奥壁には連続三角紋と菱形紋が線刻で描かれています。屋根にも弓矢のような線刻が見られます。さらに石屋形の向かって左側には刀の浮彫があり、柄の部分がリアルに表現されています。左屍床の仕切にも連続三角紋の線刻があります。また、外壁の左側には四角い彫り込みがありますが、用途は不明です。
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9号墓も8号墓に近い構造をしています。二重の飾り縁には線刻と赤い彩色で同心円紋、菱形紋が描かれています。玄室奥壁には石屋形が表現され、その左右の柱と軒先には同心円紋、菱形紋が線刻で描かれています。さらに左屍床の仕切にも菱形紋が描かれています。
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10、12号墓は奥壁付近しか残って居ませんが、12号墓奥壁には石屋形がきれいに残っています。8号墓に近いタイプで、しかも向かって右側の柱に刀の浮彫が彫られています。また、石屋形の屋根の部分には平行線でX紋、中央に舟、軒先に連続三角紋が、向かって右側の柱の内面にも菱形紋がそれぞれ線刻で描かれています。11号墓は12号墓の下にわずかに見えています。
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14号墓は大きく崩落し、玄室の一部しか残っていません。その上の方にある15号墓も右半分が崩落し、横穴墓の断面見本のようになっています。16号墓は飾り縁が崩落していますが、羨門の右側外壁に赤い円紋が一個見えています。おそらく崩落した部分にも円紋があったと思われます。
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17号墓は長方形の羨門に台形の第一飾り縁、アーチ形の屋根風の第二飾り縁が設けられた独特の入口を持ちます。奥壁の屍床には9号墓と同タイプの石屋形が彫られています。装飾は石屋形の奥壁に線刻で円紋が8個描かれていますが確認するのは困難です。また、左右の屍床の仕切は舟状に作られ、三角紋の線刻が一部残っています。
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18号墓は小さな玄室ですが、奥壁の屍床にはきちんと石屋形風の浮彫が作られています。
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上の方にある19号墓はかなり崩壊しており、玄室の奥壁付近だけが残っています。接近はできませんが、奥壁の石屋形風の浮彫が見えています。古い記録では、崩壊した飾り縁にX形の彫刻が存在したとされています。その右下の20号墓は完全に薮に覆われてしまっています。さらに右下にある21号墓はほとんど埋まっています。
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