徳島県板野町・阿波市(旧土成町、市場町、阿波町)の古墳


諏訪神社古墳

 板野町川端、JR阿波川端駅のすぐ北の山に諏訪神社があり、本殿裏の山頂に結晶片岩の箱式石棺が露出しているということですが、現在、石柱が立つだけで、石棺は薮の中に完全に埋没してしまって、見ることができません。


愛宕山古墳 【管理人推薦】【県史跡】

 板野町川端字芦谷山8-1、諏訪神社の西の尾根上にあり、阿波川端駅近くの県道から案内標識が出ています。自然地形を利用した全長63.8m、後円部径44.2mの二段築成の前方後円墳で、阿波国では、渋野丸山古墳に次ぐ大きさです。後円部墳頂に結晶片岩を小口積みした竪穴式石室が露出しています。長さ6m、幅1.1m、深さ1.2mの規模で、底には礫を敷き詰めています。五世紀初頭の築造と見られます。

後円部墳頂の竪穴式石室、結晶片岩を使用

竪穴式石室の小口部側壁


土成丸山古墳

 阿波市旧土成町高尾、六番札所安楽寺の西方約200mの県道139号線沿いにあります。宮川内谷川によって形成された扇状地上に位置し、田畑や墓地による削平を受けていますが、1984年に徳島県立博物館によって測量調査が行われ、直径約40m、墳丘高約6.5mを測る二段築成の円墳と推定されます。また幅14m弱の周濠を持ち、円墳では県下最大です。内部主体は、発掘調査が実施されておらず不明です。墳丘は葺石で覆われており、形象埴輪・円筒埴輪が立て並べられていたと考えられます。埴輪の表面の色の特徴などから、いくつかの窯から埴輪を運び込んだと想定されます。出土した埴輪から、五世紀中頃に築造されたと考えられます。


穴薬師古墳

 阿波市旧土成町南原、県道12号線から県道236号線を北へ曲がり、500mほど行くと西側50m先に、見えています。古墳の上の木が目印です。かなり変形していますが、径7mくらいの円墳です。横穴式石室が南に開口。玄室は長さ1.8m、幅1.75mのほぼ正方形プランで、羨道長3.75m、幅1.5m。側壁は小型の砂岩乱石積み、天井は結晶片岩の巨石を使用していますが、原形を留めていないそうです。


岩屋古墳

 阿波市旧土成町高尾、集落内のメイン道路を徳島自動車道を越えて北へ500mくらいで、西の丘陵を登っていく細い道路があります。その道を100mほど登ると、道路左に墳丘があり、立派な石の説明板が立っています。反対側の南に横穴式石室が開口。玄室長3.55m、幅1.75m、高さ2.1m、羨道幅1.5mの右片袖式で、側壁は砂岩の自然石を持ち送り、羨道はかなり破壊されています。

石室は説明板の反対側に開口

石室開口部

玄室奥壁

奧から


北岡東古墳 【県史跡】

 阿波市旧阿波町北岡、県道12号線と岩津橋を通過する道路との交差点の北500m、北岡東集会所の裏にあります。吉野川の河岸段丘先端に築かれた径15mの円墳で、墳丘はどうやら復元中のようです。段の塚穴型の東限となる横穴式石室が南東に開口、結晶片岩で築かれた全長5.26m、玄室長3.1m、奥壁幅2.02m、中央部高さ2.24m、羨道長2.16m、幅0.8m、高さ1.17mの両袖式で、胴張りで、玄門を持ちません。天井は六枚の石材を前後から持ち送り、かなり極端な穹窿式となっています。現在羨道の天井石が割れて落ちそうになっているので、内部には入らないほうが良いでしょう。六世紀後半の築造です。

古墳の現状

石室開口部

奥壁

入口側


北岡西古墳 【県史跡】

 阿波市旧阿波町北岡、東古墳の西350mの段丘上にあり、墳丘が町道で一部削られています。径10mの円墳で、やはり段の塚穴型の東限となる横穴式石室が南に開口していますが、羨道、玄門部は太平洋戦争末期に積み変えられてしまいました。玄室はわずかに胴張り状の細長いプランで、天井は、結晶片岩五枚を前後から持ち送る穹窿式で中央部の高さは3.2mです。

古墳の現状、

石室開口部

奥壁

玄門部


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