愛知県一宮市の古墳


浅井古墳群

 1、4、10、14、20号墳が岐阜県指定史跡。一宮市の北東端、浅井町尾関に残る5基が史跡指定。もと、50基以上の古墳がありましたが、現存するのは13基です。小塞神社の境内には3基の古墳が残っています。小塞神社古墳(1号墳)は全長32m、後円部径14.5mの前方後円墳で。現在は後円部上が削平され、社殿が建てられています。しかし、墳形は良く残っています。2号墳は1号墳の東隣りにある径13mの円墳で、墳丘上に祠が建てられています。その南にある24号墳はわずかな高まりがある程度です。

 

 小塞神社古墳(1号墳)

2号墳

24号墳

 小塞神社の北300mの河田公民館前に人麿塚(18号墳)の碑が立っています。古墳は50m東の県道工事で消滅しましたが、径8mの円墳で、主体部は4.2m×2.1mの横穴式石室に組合せ式石棺が納められていました。

 

 河田公民館の東400mにある石刀神社拝殿後ろの玉垣内にチャートの巨石があり、15号墳の横穴式石室材と考えられています。さらに100m東の市道沿いにもブロック塀に囲まれたチャートの巨石があり、16号墳の石室材とされています。

15号墳の石室材

16号墳の石室材

 寿福寺の本堂裏の竹林内に31号墳があります。径8mの円墳で、墳丘は比較的良好に残っています。寺の北側の宅地の中に愛宕塚古墳(20号墳)があります。元は前方後円墳でしたが、現在は削られて石垣で固められた墳丘の一部が残るだけです。石垣下部の大きい石材は石室材と思われます。

 31号墳

 愛宕塚古墳(20号墳)

 寿福寺南のみづほ保育園のすぐ東の市道沿いに桃塚古墳(4号墳)があります。径20mの円墳ですが、原型を留めて居ません。その南の老人ホーム中庭に築山があり、23号墳の残丘と思われます。北東100mの市道沿いにある毛無山古墳(10号墳)は盟主墳で、径38mの大型円墳です。周溝、葺石、埴輪を備えます。さらに東100mの介護施設前に岩塚古墳(14号墳)が保存されています。墳丘は削平されていますが、全長8.2mの横穴式石室基底部が残存、玄室に家形石棺がありました。現在の家形石棺はコンクリート製の復元品で、実物は一宮市立博物館にあります。介護施設の北側に墓地がありますが、この墓地は21号墳を破壊して築かれた物です。元は全長30mの前方後円墳で、東側が前方部になります。

桃塚古墳(4号墳)

23号墳?

 

毛無塚古墳(10号墳)

岩塚古墳(14号墳)

岩塚古墳(14号墳)の家形石棺

21号墳の後円部付近

愛宕社古墳

 一宮市浅井町西海戸、県道151号線沿いの愛宕神社境内にあり、墳丘上に社殿が建っています。昔は大型の円墳だったらしいですが、1955年頃に方形の石垣基壇に改変されてしまいました。詳細はまったく不明です。

 

浅井神社古墳

 一宮市浅井町東浅井の浅井神社境内にあります。社殿が建つ石積基壇の東側に回ると、石積みからはみ出た川原石が1.2mの間隔で並んでいます(その向かいに古墳の石碑有り)。これが露出した横穴式石室の側壁の一部で、石室本体は埋没しています。石室は本来は全長7.3m、幅1.2mの複室構造で、さらに3mほどの墓道が付きます。4m南にも石積みからはみ出した石材があり、墳丘裾の列石と考えられています。しかし、墳丘はまったく残っておらず、現在の石積み基壇は削平された上に新たに築かれたものです。調査の結果、七世紀中頃と後半の二回埋葬されたことがわかっています。

東側の石積みに石室材が露出

石室跡の向かいの石碑、左の巨石は天井石か?

石室跡の正面から、左右側壁材が露出

4m南にある墳丘裾の列石?

富塚古墳

 一宮市指定史跡。一宮市富塚、県道152号線富塚バス停の南東にあります。径30m、高さ6.6mの三段築成の円墳で、南側に3.6×14.2mの造り出しが付きます。周囲に周溝跡が残りますが、墳丘自体はかなり崩れています。かつて墳頂に小さな祠があり、その土台が残っています。

稲荷山古墳

 一宮市指定史跡。一宮市三ツ井14-20の公園隣りにあり、墳丘上は神明社となっています。すぐ近くにカレーハウスCOCO壱番屋の本部があります。一辺40mの方墳ですが、西側は大きく削られて石垣化されています。東80mのところに陪塚とされる伊勢塚古墳があり、ともに史跡指定されています。

稲荷山古墳、西側は道路で削られている

伊勢塚古墳

伊冨利部古墳

 市史跡。一宮市木曽川町門間の伊冨利部神社境内にあります。本殿の南東にあり、墳丘上には祠が祭られています。径20m、高さ4mの円墳で、古い絵図にも描かれていますが、内容は不明です。

岩戸(石戸)古墳

 一宮市今伊勢町馬寄の石戸神社境内にあります。径20m以上の円墳と思われますが、墳丘はほとんど削平され、その上に本殿が建っています。本殿の裏側に回ると、円形の高まりがわずかに残されています。

墳丘上に社殿が建つ

裏側に円形の高まりが残る

西宮(さぐち)社古墳

 一宮市今伊勢町馬寄、更屋敷公民館の西100mにあり、住宅街の中にかなり変形した墳丘が残っています。昔、墳丘上に西宮社という祠があったそうですが、今は他の場所に移されています。現状で25×9mの大きさで、明治41年の調査で須恵器が出土しました。

 

上町屋古墳

 一宮市今伊勢町馬寄、上記西宮社古墳の南の道路を西へ200m進むと(車は逆方向の一方通行なので注意)、道沿いに秋葉社という小さな神社があり、その北側にあります。墳丘は低く、原型を留めて居ませんが、径12m以上の円墳と思われます。最も高い場所に横穴式石室の石材が露出していますが、1939年の調査で川原石積みの石室が見つかっています。

低い墳丘が残る

石材が露出

車塚古墳

 一宮市指定史跡。一宮市本神戸、今伊勢小学校の東100mにあります。推定全長70m、後円部径34mの前方後円墳ですが、現在は後円部のみが残されています。前方部があったと思われる墳丘の東側は大きく削られて崖状になっています。江戸時代に洪水で墳丘が崩れ、銅鏡三面などの副葬品が出土し、現在一宮市の文化財となっています。五世紀前半の地域の首長墓と思われます。

七ツ石古墳

 市史跡。一宮市大和町戸塚、戸塚集落のほぼ中央の道路沿いに18個の石材が集められた一画があり、七ツ石と呼ばれています。ちょうど横穴式石室として手頃な大きさで、一部の石材は一面が平滑に加工されており、破壊された古墳の石材と考えられています。


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