糸島市東部(旧前原市東部)の古墳


井原1号墳

 

 市史跡。糸島市井原541、広い農地の真只中にあり、遠くからでもすぐわかります。全長43m、後円部径25mの前方後円墳で、前方部二段、後円部三段に築かれ、葺石があります。埋葬施設は後円部中央にあった大型の箱式石棺で、現在墳頂に側石が一枚残されています。

前方部から後円部、墳丘上に石材散乱

後円部上の石材


古賀崎古墳

 糸島市西堂909、井原1号墳の北東400m、西堂集落の北にある独立丘陵上にあります。墳丘はかなり失われ、破壊された横穴式石室が露出しています。玄室は2.9m×2.2mの大きさで両袖式、羨道は埋まったままです。

玄室が露出

玄室、右側が奥壁

玄室、奧から袖部、羨道は埋まっている


平原墳丘墓(曽根遺跡群 平原遺跡1号墳丘墓)

 

 国史跡。糸島市有田の集落内にあり、史跡公園として整備されています。弥生時代終末期の墳丘墓で、14m×10.5mの長方形墳の周囲に周溝が巡っています。主体部は4.5m×3.5mの墓壙に納められた3m×0.9mの割竹形木棺で、棺の内外から銅鏡40面のほか、ガラス勾玉、管玉、水銀朱、鉄製素環頭大刀などが出土しました。特に直径46.5cmの内行花文鏡5面は世界最大の銅鏡で、被葬者は伊都国の女王と考えられています。


ワレ塚古墳(曽根遺跡群)

 

 国史跡。糸島市曽根字中340、平原遺跡の南500mにあります。全長42m、後円部径29mの帆立貝式古墳で、前方部がかなり低く、周濠から形象埴輪や壷、高坏などの祭祀に使用された遺物が出土しています。


銭瓶塚古墳(曽根遺跡群)

前方部側から

後円部墳丘
  

 国史跡。糸島市曽根字中405-1、平原遺跡の南800mの道路沿いにあります。全長50m、後円部径37mの帆立貝式古墳で、周囲に周溝が巡ります。現在、前方部が道路で分断されています。後円部は三段築成で、葺石があります。五世紀後半の築造です。


狐塚古墳(曽根遺跡群)

大きな円墳

石材露出
  

 国史跡。糸島市曽根字中340、銭瓶塚古墳の東150mにあります。径33mの大きな円墳で、幅5mの周溝が巡ります。墳丘は三段築成で葺石が施され、墳頂に2基の埋葬施設がありました。1号主体部は初期の横穴式石室で、墓道が斜め上方から入るように設けられています。玄室は2.6m×1.6mの大きさで、板石で屍床を区切っています。現在石室は埋め戻され、天井石と思われる石材が露出しています。2号主体部は小型の竪穴式石室と思われます。五世紀前半の築造です。

 横穴式石室実測図


築山古墳 

 糸島市三雲字寺口、平原遺跡の南東1km、三雲東公民館の隣りにあります。全長60m、後円部径49mの帆立貝式古墳ですが、現在前方部は失われ、後円部もかなり削られています。葺石があり、周溝が巡っていたと思われます。主体部は未調査で、出土した埴輪から四世紀末頃の築造と思われます。

 


端山古墳 

 糸島市三雲字塚廻り、築山古墳のすぐ北にあります。全長78.5m、後円部径42mの前方後円墳ですが、前方部は消滅しています。後円部三段、前方部二段に築かれ、盾形周溝が巡っていました。主体部は未調査ですが、出土した土器片から四世紀初め頃の築造で、築山古墳に先行すると思われます。

 


志登支石墓群

 国史跡。糸島市志登、JR波多江駅の北西1kmの水田の中にあります。弥生時代前期〜中期の墓地で、支石墓10基、甕棺墓8基からなります。このうち、甕棺墓と4基の支石墓が1953年に調査され、支石墓は数個の支石の上に径1.5〜2mの平石を置き、下部には土壙がある構造とわかりました。また、一部に磨製石器、打製石器が副葬されていました。

支石墓が密集

平石は径2mほどの大きさ


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