和歌山県和歌山市岩橋千塚古墳群

 岩橋千塚古墳群は和歌山市岩橋の紀ノ川河口南岸の丘陵地帯に広く分布する大古墳群で、総数700基以上に達します。いくつかの支群に分かれますが、このうち、丘陵北側に分布する前山A、B支群全域とC、大日山、大谷山支群の一部が国の特別史跡に指定され、現在紀伊風土記の丘として整備公開されています。公園内には見学コースが設けられ、保存状態の良い主要な横穴式石室が内部を見学できるようになっています。 【管理人特選】


岩橋千塚古墳群前山B支群

 


前山B1〜3号墳

 A支群から尾根上の遊歩道を西へ進むと、B支群に行き着きます。尾根付近から麓まで尾根に沿って200基以上の古墳が密集しています。最初に出会う1〜3号墳はいずれも中規模の円墳で、3号墳の墳頂には竪穴式石室らしい陥没があります。

B1号墳

B2号墳、右奧はB1号墳

B3号墳


前山B32号墳

 天井部を失った横穴式石室が露出しています。両袖式の玄門が観察できます。


前山B36号墳

 風土記の丘資料館の敷地内にあった古墳ですが、発見時すでに上部を削平されていて、現在は石室の基底部が資料館の地下に移築保存されています。結晶片岩を小口積みし、玄室前道を持つ岩橋式では典型的な構造です。

羨道部

玄室奥より


前山B38〜40号墳

 尾根上を東に進むとB38〜40号墳があります。39、40号墳では横穴式石室が露出しています。このあたりから南の尾根筋を下っていくと一つの古墳のまとまりとなっていて、小支群と言えそうです。

B38号墳

B39号墳、横穴式石室が少し露出している

B40号墳、横穴式石室


前山B53号墳(将軍塚)

 

 前山B支群の尾根中央に位置する全長42.5mの前方後円墳です。前方部と後円部にそれぞれ横穴式石室がありますが、前方部は埋められています。後円部の横穴式石室は全長6.48m、玄室長3.32m、幅2.23m、高さ4.3mの両袖式で、前山B支群では最大規模です。背の高い玄室には石棚1、石梁1が架設され、羨道と、羨門前には扉石が立てかけられています。

正面、コンクリート要塞化されています

羨道部、巨大な扉石あり

玄室

玄門部


前山B67号墳(知事塚)

 将軍塚の西80mの尾根上に位置する全長30.5mの前方後円墳で、北側くびれ部に造り出しがあります。主体部は、後円部に岩橋型の横穴式石室、くびれ部に残存長2.6m、幅1.3mの畿内型の横穴式石室、前方部に長さ1.9m、幅0.45mの竪穴式石室が確認されています。後円部石室は西向きで、玄室長2.4m、幅2.05m、高さ3.4mの規模で石棚1と、仕切石があり、玄門には扉石が立てられたままの状態でした。現在はすべて埋め戻されて見学できません。


前山B112号墳(郡長塚)

 知事塚の西80mに位置する全長30.5mの前方後円墳です。横穴式石室は西北に開口し、全長7.67m、玄室長2.63m、幅2.03m、高さ3.3mの両袖式で、石棚1、石梁1があり、仕切石が残っています。石室は明治時代に盗掘によって発見され、その後は盗掘坑に蓋をされた状態で、普段は未公開です。

 2010年医久しぶりに石室内が公開されました。石室は全長7.67m、玄室長2.7m、幅2.03m、高さ3.3mの両袖式で、最後に築かれた岩橋型石室と言われています。玄室上部には石棚と石梁が一つずつあり、この時期としては大型の石材を使用しています。床には玉石が敷き詰められ、玄門には、扉石が引き倒されたままの状態で残っていました。

盗掘坑から入室

約4m梯子を降りた位置、羨道奧から

玄門部、手前に扉石が倒れている

玄室奥壁、大きな石棚を構架

石棚と、石梁

玄門部奧から


前山B113号墳

 群長塚から散策路を挟んで下側の尾根にあります。小型の横穴式石室の天井がなくなっていますが、両袖式の玄門から前は完存。羨道を覗くと、何と、閉塞石の扉がそのまま残っています。


前山B120号墳

 主体部はごっそりと抜かれて、石材が散乱しています。

 


前山B123号墳

 天井部を失った石室が露出していますが、玄室が極端な横長で、L字形をしています。

石室正面

玄室奧から


前山B135号墳

 玄室は崩壊して石材が散乱、羨道のみ残っています。

 


前山B147号墳

 天井部を失った石室が露出しています。

 


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