静岡県磐田市中部(旧磐田市)の古墳


兜塚古墳

 磐田市河原町の国道1号線沿いにあるかぶと塚公園内にあります。径80mの基壇上に二段目を築いた東海地方最大の円墳ですが、高さが7mしかなく、かなり扁平な印象です。第二次大戦時に高射砲が設置されたため、上部が削られているのかも知れません。

  


京見塚古墳群 【管理人推薦】

 兜塚古墳の西500m、磐田原台地の西端崖っぷちの狭い地域に営まれた造墓地です。中期の径50mの円墳京見塚古墳を初めとして、13基の後期古墳、4基の円筒埴輪棺が集中し、同一氏族の奥津城と見られます。

手前は横穴式石室墳、遠方に京見塚古墳

横穴式石室

後期の古墳群

円筒埴輪棺を埋葬した墳墓


二子塚古墳

 磐田市三ヶ野の住宅地の中に古墳公園として整備公開されています。五世紀後半に築かれた全長55mの前方後円墳で、周濠が巡ります。明治時代に埋葬施設から馬具や銅鏡などが出土。区画整理に伴う平成七年の調査では周濠から人・馬形埴輪が出土しています。

 


明ケ島5号墳 【出土品は国重要文化財】

 磐田市明ケ島の東部台団地の東端にありましたが、宅地開発で消滅しました。発掘調査の結果、墳丘の盛り土の中から大量の模造土製品が出土し、大変話題になりました。


広野遺跡

 磐田市高見丘、東名高速遠州豊田PAのすぐ南に存在する遺跡で、2016年に大規模農業施設の建設に伴う調査で、茶畑の下から完全に削平された3基の円墳が発見されました。1号墳からは土器片の他に紡錘車が出土。2号墳は他の2基と比べると、周溝の幅が狭く、築造時にスペースの制約を受けていたのではないかと推定されます。南側に土橋があり、発掘による土砂の運搬に役立っていました。3号墳からは600年頃の須恵器が出土しました。現地周辺は磐田原台地の中でも古墳の空白区となっていましたが、茶畑の下にまだまだ古墳が埋まっていそうです。

表土をはぎ取ったところ、左から1〜3号墳。左奧はららぽーと磐田

1号墳

2号墳

2号墳の土橋、土砂の運搬に活用されてます

3号墳


新豊院山古墳群 【国史跡】

 磐田市向笠竹之内の新豊院というお寺の裏山にあり、本堂裏から登り道があります。弥生中期から後期の土坑墓3基、古墳時代初頭の台状墓1基、古墳前期の前方後円墳2基からなります。同じ尾根上に時代の違う様々な形式の墳墓が並び、弥生中期〜古墳前期の墓制の変遷を辿ることができます。1号墳は東端に位置し、全長33mの前方後円墳ですが、本格的な調査が行われていないため、前方後方墳の可能性もあります。2号墳(D-2号墳)は四世紀前半の全長28mの前方後円墳で、埋葬施設は後円部中央の大きな土壙に木棺が納められていました。三角縁神獣鏡などが出土しています。西に隣接する3号墳(D-1号墳)は一辺12mの台状墓で土壙内部に木棺を納めていました。弥生期の墓制を残した古墳時代初期の墳墓です。3号墳の南側に弥生期の土坑墓3基があり、いずれも2m×1mほどの大きさです。

  分布図

1号墳、整備はされていない

2号墳、尾根を整形した前方後円墳

3号墳、ほとんど2号墳と隣接

土坑墓群(左下の礫の集まり)、奧に3号墳


銚子塚古墳・小銚子塚古墳 【管理人推薦】【国史跡】

  銚子塚古墳

 磐田市寺谷、磐田原台地の北西の崖縁に全長46.6mの前方後方墳・小銚子塚古墳と全長112mの前方後円墳・銚子塚古墳が隣接しています。ともに保存状態は良好です。銚子塚は全長108m、後円部径58mの前方後円墳で、周囲に周溝が巡っています。小銚子塚古墳は北西に隣接する全長46mの前方後方墳で、周溝が巡り、一部は銚子塚古墳の周溝と重複しています。

銚子塚古墳、前方部から後円部

小銚子塚古墳

 銚子塚古墳の周溝の北側に隣接して、3、4号墳があります。3号墳は、現状で径8mほどの円墳、4号墳は一辺10mほどの方墳です。詳細は不明です。

3号墳、円墳

4号墳、方墳


米塚古墳群 【管理人推薦】【県史跡】

  

 銚子塚の北300m、磐田原台地の西縁辺に築かれた古墳群で、1号墳を中心に、10基の小円墳が取り巻いていますが、うち、2基は消滅しています。1号墳は、径40mの二段築成の大型円墳で、周囲に幅7mの周溝が巡ります。葺石はありますが、埴輪はみつかっていません。未調査なので詳細は不明ですが、非常に美しく保存されています。しかし、ほかの小円墳は、明確なマウンドをもつものはなく、8〜10号墳は薮の中です。

 

12号墳?

4号墳?

5号墳?

6号墳?

7号墳?8号墳以降は、薮の中


長者屋敷古墳群 【県史跡】

 磐田市寺谷、銚子塚古墳の南西にある長者屋敷遺跡は東西100m、南北80m、高さ3mの長方形の土塁に囲まれた大型の建物跡などの遺跡で、奈良時代の役所か、豪族の居館跡と考えられています。遺跡の造営前に古墳群が存在していたことがわかっていて、特に土塁の南西隅には、1号墳が墳丘ごと、取り込まれていました。径15mの円墳で、主体部は横穴式石室でした。

銚子塚古墳との位置関係

土塁の南西隅、北から

土塁の南西隅に取り込まれた円墳


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