兵庫県加古川市北部(平荘町・上荘町)の石棺群


池尻16号墳石棺蓋、投松石棺身

 池尻16号墳は、大型の横穴式石室を持つ大方墳でしたが、現在は平荘湖の湖底に水没しています。石室の中に納められていた大型の家形石棺の蓋と身がそれぞれ異なる場所に保管されています。蓋石は、平荘町池尻の平荘湖の畔の弁天神社にあり、233cm ×160cm×60cmの巨大サイズで、縄掛突起も明瞭に残っています。

側面

小口側

 石棺身は加古川市志方町投松の投松公会堂にあります。228cm×142cm×95cmの巨大なくり抜き式石棺の身で、江戸時代に持ち出され、姫路城下まで運ばれていく途中、重すぎたため現地近くに放棄された記録があります。上面から10cmほど、浅い段が加工されています。

側面

小口側


地蔵寺・六地蔵石棺仏、地蔵立像および胎蔵界大日種子石棺板碑

 加古川市平荘町池尻の地蔵寺境内にあります。向かって左の六地蔵石棺仏は、136cm×102cm×30cmの家形石棺の蓋石に六体の地蔵菩薩と、施主の男女像二体が彫られています。鎌倉時代後期の秀作です。右の石棺板碑は市文化財で、134cm×63cm×16cmの石棺側石に胎蔵界大日の種子を薬研彫りし、弘安四年(1281)の銘があります。その少し後に、反対側の地蔵立像が彫られたと見られます。

左が六地蔵石棺仏、右が地蔵立像(裏に大日種子石棺板碑)

裏側の大日種子石棺板碑


池尻墓地石棺

 加古川市平荘町池尻の共同墓地にあります。墓地の一番高い位置に、水槽として転用されていて、今も現役で働いています。148cm×70cm×33cmの家形石棺の蓋石で、なかなか、風景に溶け込んでいます。

 


長楽寺墓地・六地蔵石棺仏(六尊石仏)

 加古川市平荘町小畑の長楽寺墓地にあります。市文化財で、183cm×121cm×28cmの大型の竜山石製家形石棺蓋の裏側に阿弥陀如来坐像二、地蔵菩薩立像六が半肉彫りされています。南北朝時代の初め頃の彫刻と思われます。石材の表側には、縄掛突起六と稜線が明瞭に残っています。

正面

蓋の表側

 六地蔵石棺仏の前に置かれている供物台も、石棺の身と思われます。116.5cm×69cm×39cmの大きさで、子供用でしょうか?また、後ろ側にも石棺材があり、資料には石棺仏とありますが、半分以上埋まっていて、正体はわかりません。

供物台

裏側の石棺仏?


小畑西・八つ仏石棺仏(八尊石仏)

 加古川市平荘町小畑西、上記の長楽寺の北西500mの山裾にあります。トタン製の粗末な覆屋で囲まれているのですぐわかります。市文化財で、153cm×116cm×35cmのこれも大型の竜山石製家形石棺蓋の裏側に計八体の坐像が半肉彫りされています。左右の四体と中央上側二体は阿弥陀如来、中央下側は地蔵菩薩と思われ、蓋内側の本来の凹みをうまく利用してレイアウトされています。上記六地蔵よりはやや下った南北朝〜室町前期の作と思われます。

蓋の表側

 


西山・弥陀種子石棺板碑群

 加古川市平荘町西山、集落中央、消防倉庫横の小さな社の裏に2基の石棺材が並んでいます。左側は158cm×75cm×19cmの側石に阿弥陀三尊の種子が刻まれていて、片側の側面に溝が残っています。右側は73cm×92cm×12cmの底石に阿弥陀三尊の種子が刻まれていて、石材組合せのための溝をそのまま縁取りに利用しています。左端に弘安四年(1281)の銘があります。また、向かいにも1基、種子板碑があります。

弥陀種子板碑(側石)

弥陀種子板碑の側面にある溝

弘安四年銘弥陀種子板碑(底石)

もう一枚ある弥陀種子板碑


旧西山墓地・ほほえみ地蔵(線刻地蔵板碑)

 市文化財。加古川市平荘町西山、上記の石棺板碑の西100m、旧西山墓地の跡地にあります。なお、西山墓地はその北100mに移転していますので注意。122cm×64cm×17cmの石棺底石に線刻で地蔵菩薩を掘り出した珍しい石棺仏です。応長元年(1311)九月の銘があり、鎌倉時代の線刻板碑は県内では唯一の例です。

右側が石棺板碑

珍しい線刻の石棺仏


観音堂石棺群、石棺仏

 加古川市平荘町里山条の観音堂境内にあります。入口を入ると、すぐ左右両側に家形石棺の蓋石が向かい合う形で立てられています。右(東)側は120cm×94cm×32cm、左(西)側は128cm×88cm×29cmと、ほぼ同サイズで、現在は、不明ですが、平ノ荘神社石棺群の例から見て、本来は内側に種子などが彫られていたと考えられます。観音堂の左側には石棺仏があります。詳細は不明ですが、室町時代中期頃の作風と見られます。

入口両側に向かい合って立つ二つの石棺蓋

入口右側の石棺蓋

入口左側の石棺蓋

観音堂横の石棺仏


養老地蔵堂四尊石棺仏、弥陀地蔵石棺仏

 加古川市平荘町養老の集落内の地蔵堂に三体の石棺仏があります。左側の大きな石棺仏は118cm×53.5cm×12cmの側石に四体の弥陀坐像を彫り出しています。図形化が進んでいることから室町時代前期ころの作品と思われます。一時期橋に使用されていたそうです。右側の小屋の中にも二体の石棺仏が他の石仏と一緒に、転がっています。左側のは49cm×56cm×11cmの側石に弥陀坐像と地蔵菩薩立像を彫り出した二尊石棺仏です。右側のは69cm×53cm×11cmの側石に四体の弥陀坐像を彫り出した四尊石棺仏で、上片に溝が加工されています。二体とも、室町前期ころの造形と思われます。

四尊石棺仏正面

四尊石棺仏上部の段加工

小屋の中の弥陀地蔵石棺仏

小屋の中の四尊石棺仏


養老旧公民館石棺

 加古川市平荘町養老、上記の地蔵堂から西へ50m進み、路地を北へ入った先に、元公民館のあった空き地があり、そこに家形石棺の蓋が残されています。縦方向に割られていて、現状で134.5cm×57.5cm×26cmの大きさです。

薄く、スマートな稜線加工

横から、左側が割られている


養老の石棺

 加古川市平荘町養老、上記の石棺仏の南東200m、加古川堤防そばの民有地内にあります。大きな楠が目印で、遠くからでも良く見えます。132cm×74cm×55cmのくり抜き式石棺の身で、信仰の対象になっているようです。

  


平之荘神社種子石棺板碑群

 市文化財。加古川市平荘町山角の平之荘神社石段の登り口両側に家形石棺の長側石で作られた種子石棺板碑が立てられています。左側の板碑は69cm×62cm×12cmの大きさで、弥陀三尊の種子を薬研彫りしています。弘安元年(1278)の銘があります。右側の板碑は70cm×62cm×12cmの大きさで、釈迦三尊の種子を彫っています。二つともほぼ同じ大きさであることから、同じ組合せ式石棺の石材から、同時期に造立されたと考えられています。本殿の東には、家形石棺の蓋が、小さな祠の台に転用されています。103cm×84cm×23cmのコンパクトサイズで、内側のくり抜きは埋められています。

 

左側の弥陀三尊種子石棺板碑

右側の釈迦三尊種子石棺板碑

家形石棺蓋、くり抜きを埋められています。

家形石棺蓋、横から


報恩寺墓地・弥陀三尊種子石棺板碑、四尊石棺仏

 加古川市平荘町山角、平之荘神社の隣りの報恩寺の墓地にあります。本堂横にある弥陀三尊種子石棺板碑は104cm×84cm×13cmの側石に種子を薬研彫りしたもので、弘安七年(1284)の銘があります。本堂裏にある四尊石棺仏は81cm×68cm×11cmの側石に四体の弥陀坐像を彫りだしたもので、文和二年(1353)二月の銘があります。抽象化、図形化が進んだ南北朝期の石仏の典型です。裏面に溝が残っています。山門の脇にはくり抜き式石棺の身が置かれています。48cm×67.5cm×54.5cmの大きさで、綺麗な形をしています。

弥陀三尊種子石棺板碑

四尊石棺仏

石棺身


熊野神社・弥陀石棺仏、石棺材群

 加古川市平荘町新中山、熊野神社境内にあります。弥陀石棺仏は、家形石棺を106cm×29cm×21cmの大きさに割って、傾斜面に弥陀坐像を半肉彫りしたもので、裏側には、くり抜きも残っています。向かい合うように、家形石棺の蓋石が割られた状態で立てられています。また、すぐそばに家形石棺の蓋石が長辺方向に割られて置かれています。現存の大きさは64cm×64cm×30cmで、くり抜き部が深く、全体に加工精度が高いです。

弥陀石棺仏

弥陀石棺仏の裏側、くり抜きが見える

弥陀石棺仏の前の家形石棺蓋

割られた石棺蓋

 神社西側の空き地の石垣の前にも、石棺材が二つ置かれています。側石材と思われます。

 


神木・弥陀石棺仏(神木の大日さん)、元東林寺跡・釈迦種子石棺板碑

 加古川市平荘町神木、上記の熊野神社の西50m、交差点に面して高台があり、その上にあります。176cm×100cm×30cmの大型の家形石棺の蓋石の内側に弥陀坐像を大胆に厚肉彫りしています。簡略化された表現から室町時代前期の彫刻と見られます。蓋石自体は縄掛突起はなく、非常にスッキリしたデザインです。そのすぐ南に、釈迦種子石棺板碑があります。94.5cm×87cm×11cmの石棺底石に釈迦種子を彫ったものですが、現在はほとんど読みとれません。段加工が良く残っています。

弥陀石棺仏

弥陀石棺仏の裏側、くり抜きが見える

割られた石棺蓋


神木石棺

 加古川市平荘町神木、西山交差点の北東400mの農道沿いにあります。石仏の後ろ側に組合せ式石棺の側石が置かれています。

  石仏の後ろ側が石棺の側石


小野薬師堂石棺群

 加古川市上荘町小野、両荘中学校東500mの小野薬師堂境内に石棺がいくつか残されています。説明板の前に底石が半ば埋まっていて、90cm×60cm×20cmの大きさで段加工されています。そばのベンチの後ろにも石棺材と思われる板石が二枚埋まっていますが、違うかも知れません。薬師堂の南側に家形石棺蓋と側石材が並んで置かれています。家形石棺蓋は102cm×55cm×32.5cmの大きさで、市内では唯一の棟飾り風の意匠の四注式で、播磨でも加西市の後藤山古墳、高砂市の圓明寺石棺と三例だけの珍しい構造です。隣の側石材は52cm×66cm×15cmの大きさです。

底石

石棺材?

四注式家形石棺蓋

側石材


見土呂大師堂・弥陀三尊石仏(見登呂姫の石仏)

 加古川市上荘町見土呂、上荘小学校の北500m、見土呂フルーツパークへ向かう道路沿いに標識が出ていて、そこから小道を入ってすぐの大師堂の横にあります。174cm×125cmの肉厚の石棺材に弥陀三尊像を半肉彫りしたもので、前に傾いていますが、石仏としての保存状態が非常に良好です。抽象化された表現から室町時代の造形と思われます。

前のめりに傾いている

非常に美しい造形


上荘小学校石棺

 加古川市上荘町都染の上荘小学校校庭にあります。北側道路沿いにありますので、外から見学可能ですが、説明板が内側に向いているので、読めません。162cm×94cm×28cmの家形石棺の蓋で、小口側におそらく盗掘で破壊された跡があります。

 


井ノ口石棺底

 加古川市上荘町井ノ口の上荘神社南西の住宅地奧にあります。89cm×81cm×22cmの石棺の底石が立てられていて、組合せ用の溝も良好に残っています。

  


井ノ口石棺蓋

 加古川市上荘町井ノ口の常楽寺南西400mのため池堤防横にあります。130.5cm×77cmの家形石棺の蓋石が、小さな小川の橋として現役で使用されています。

  


セイメイさん(地蔵石棺仏?)

 加古川市上荘町国包、厄神駅の東300mの道路沿いに、煉瓦とトタンでできた変な小堂があり、その中にあります。向かって左側がセイメイさんと呼ばれる地蔵石棺仏ですが、実際の所は、彫刻の稚拙さや作風の不自然さから、製作年代も含め、そもそも仏教彫刻なのかどうか不明です。錫杖なんか、手書きで付け足されてますからね。石材は149cm×86cm×40cmの家形石棺の蓋石です。隣にも石棺材がありますが、石棺仏の破損したものと思われます。

かなり違和感のある小堂

左がセイメイさん、右が石棺材

お顔のアップ、錫杖は手書きです

横から


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