兵庫県加古川市南部(野口町・平岡町・尾上町)の石棺群


水足薬師堂石棺

 加古川市野口町水足、公民館の北側に薬師堂があり、その北側に石棺身が置かれています。177.5cm×78.5cm×55cmの大きさで、立てられているところを見ると、内部に石仏でも置かれていたのかも知れません。

  


水足2号墳石棺

 所在地は加古川市野口町水足ですが、目印としては神野町石守の石守公民館すぐ南の園芸センター内にあります。公民館の南30mの草むらの中に家形石棺の蓋が露出していて、その下には身が埋まっています。蓋石は184cm×94cm×36.5cm、身は150cm×80cmの大きさです。

手前の草むらの中に石棺がある。奧が石守公民館

家形石棺の蓋の一部のみ露出


教信寺石棺群

 野口町野口の教信寺境内には4基の石棺材が残されています。山門をくぐって左の奧の教信上人廟前に家形石棺蓋石を転用した弥陀三尊種子板碑が立てられています。139cm以上×87cm×32cmの大きさで保存状態は良いのですが、文字が妙に新しいと思って年号を見ると、「昭和42年」!そんなつい最近にこんな加工してしまっていいのか!? 反対側を見ると、一部加工されていて、真相はどうやら、元は灯篭か何かの台石として使われていたものをさらに板碑に転用したようです。

家形石棺の蓋石を転用した弥陀三尊種子板碑

表側にある加工跡。元は台石のようです

 北側の墓地にはほぼ中央に家形石棺の蓋石が置かれています。134cm×82cm×43cmの大きさで、手水鉢として使われていたようですが、この側面に蓮華紋様が刻まれています。室町時代頃に刻まれたものと思われます。西よりには蓋石を縦割りした弥陀石棺仏があります。83cm×28cm×19cmの大きさで、弥陀座像は肉厚で彫りが深く、なかなかの造形です。室町前期の作品と思われます。また、塔頭の一つ常住院には家形石棺の蓋石を転用した手水鉢があります。152cm以上×70cm×27cmの大きさで、両端は破壊されています。

墓地にある家形石棺の蓋石

側面に残る蓮華紋様

弥陀座像石棺仏

常住院の手水鉢


古大内石棺

 加古川市野口町古大内の共同墓地にあります。136cm×73cm×50cmのくり抜き式石棺の身で、どっしりとして重量感があります。

  


円長寺石棺

 加古川市野口町長砂の円長寺境内にあります。境内に組合せ式石棺の竜山石製石材が四枚残っていて、小川の橋に利用されていたものを集めてきたそうです。三枚は意味もなく積まれており、一枚は五輪塔の下の台石となっています。寺の隣りにある全長70mの前期の前方後円墳である聖陵山古墳から出土したと伝えられます。

組合せ式の石棺材三枚

五輪塔の下に、もう一枚

となりの聖陵山古墳


横蔵寺石棺群

 平岡町新在家の横蔵寺境内に3基の石棺材が残されています。寺前の墓地にある供物台に石棺の蓋と側石が使用されています。蓋石は109cm以上×84cm×30cmの肉厚な石材で、両側短辺と上面が削られています。側石は123cm×60cm×16cmのサイズで両端に細い突起が加工されています。境内にはくり抜き式の身が手水鉢に使用されています。118cm×67cm×46cmのサイズで端正な加工がなされています。

家形石棺の蓋石を転用した供物台

側石を転用した供物台

くり抜き式の身を転用した手水鉢


今福八幡神社石棺

 加古川市尾上町今福の今福八幡神社境内にあります。くり抜き式石棺の身ですが、大きく削られて現状は164cm×74cm×30cmくらいで、無惨な姿となっています。

  


松本地蔵石棺仏

 加古川市尾上町養田の集落内にあります(場所がわかりにくい)。124cm×85cm×30cmの家形石棺の蓋石に地蔵立像が彫られています。作風から室町期のものと思われます。石材は凝灰岩堆積層の筋目が走り、風情があります。

 

正面、石材の筋目模様が美しい

横から


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