兵庫県加古川市中部の古墳
◆日岡山古墳群
加古川市日岡山公園内、および周辺に分布する古墳群で、前方後円墳5、円墳23基からなり、前期古墳が多く集中しています。日岡山山頂にあるひれ墓古墳(日岡山高塚古墳)は全長85.5mの前期前方後円墳と思われます。現在、日岡陵として宮内庁に管理されているため、詳細は不明です。古墳の北側の陵墓敷地内に日岡山3号墳と思われるマウンドがありますが、未確定。北へ少し下った小ピークに2号墳(西ノ山古墳)があります。六世紀の後期古墳で、横穴式石室の石材が露出しています。さらに北へ下っていくと、遊歩道のヘアピンカーブの内側に1号墳があります。径5mほどの円墳ですが、ほとんど削平されています。
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日岡山公園のほぼ中央に南大塚古墳、西大塚古墳があります。南大塚古墳【市史跡】は全長90m、後円部径57mの前方後円墳で、浅い周濠が巡ります。前方部、後円部それぞれに竪穴式石室が確認されていますが、後円部の石室が一部露出しています。西大塚古墳【市史跡】は全長74m、後円部径40mの前方後円墳で、周濠が巡っていたと思われます。四世紀頃の築造と考えられます。日岡山の東山麓には、かつて4〜20号墳が密集していましたが、現在は公園化されて、古墳と現認できるものはありません。公園東側の住宅地の中に北大塚古墳【市史跡】があります。後円部径52mの前方後円墳ですが、前方部は削平されています。しかし、周濠の一部が良好に残り、現在も水を湛えています。主体部は後円部の粘土槨です。
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南大塚古墳の東に西車塚古墳があります。径23mの円墳で、周濠跡が良好に残っています。やはり四世紀頃の古墳と見られ、現在の墳丘は復元されているようです。隣りに東車塚古墳がかつて存在しましたが、消滅しています。公園の南の道路沿いに狐塚古墳があります。径15mほどの円墳ですが、薮に覆われてよくわかりません。西100mに佳福院という寺があり、その西の竹林の中に勅使塚古墳があります。全長60m、後円部径35mの前方後円墳で、周濠の痕跡があります。後円部に葺石が見られ、日岡山古墳群の中でも古い形態を備えています。日岡山の西の麓に常楽寺があり、本堂東側にくり抜き式石棺の身が置かれています。竜山石製で、146×75×54cmの大きさです。現状は、割り箸立てのように卒塔婆が突っ込まれています。
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加古川市日岡山古墳群の東2km、神野団地一帯に分布した大古墳群でしたが、ほとんどが団地造成で破壊されました。古墳発生期の52号墳や後期古墳も含みますが、中心となるのは中期の首長墓である行者塚、尼塚、人塚古墳で、日岡山古墳群からの首長墓の移動があったと考えられています。これら3基は国史跡に指定され、公園として整備中です。
■行者塚古墳 【管理人推薦】【国史跡】
山手二丁目にあり、周辺も含めて公園化されています。五世紀初め頃の加古川流域最大の全長99mの前方後円墳で、幅14mの周濠が巡ります。左右くびれ部と後円部に計四ヶ所の造り出しが設けられています。斜面には竜山石製の葺石が敷き詰められ、テラスには埴輪が巡らされていました。墳頂の主体部は粘土槨ですが、未調査で、その上部の浅い位置に木箱に納められた副葬品が出土、その中には国内最古の中国製金銅帯金具も含まれています。東造り出しと後円部の間の谷間からは囲形埴輪と家形埴輪が発見されました。北東造り出しでは形象埴輪群とその下の埋葬施設(未調査)、西造り出しからは円筒、壷形埴輪と供物の土製品が出土しています。
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行者塚古墳の西100mにあります。全長51.2mの帆立貝式、または造り出し付き円墳で、幅7mの周濠が巡ります。二段築成で、上段だけに葺石があります。テラスに並べられた埴輪の特徴から五世紀頃の築造と見られ、行者塚よりは新しい古墳です。
■人塚古墳 【国史跡】
尼塚古墳の北100mにあります。後円部径60mの帆立貝式で、周囲に周濠が巡ります。2009年に調査され、出土した埴輪片から五世紀前半の築造とわかりました。
◆神野二塚古墳 【管理人推薦】
加古川市神野町神野の稲根神社裏山にあります。2つの石室を持つ前方後円墳ですが、最近まで二基の古墳と思われていました。神社寄りの後円部石室は奥壁が開口しており、全長7.5m、玄室長3.5m、幅2m、高さ2m以上の右片袖式、前方部石室は全長約9m、玄室長3.6m、幅1.65m、高さ1.95m、羨道幅1.24m、高さ0.8mの規模で右片袖式。天井には巨石を用いています。
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加古川市八幡町上西条の八幡宮北側に宮山遺跡公園として保存されています。五世紀後半の帆立貝式古墳である宮山大塚を中心として、7基からなる古墳群です。1号墳には右片袖式の中規模の横穴式石室が完存しています。
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加古川市野口町水足、狩ヶ池すぐ北の交差点に1号墳があります。墳丘がかなり改変されているので墳形は不明ですが、径20mくらいの円墳と思われます。墳頂に陥没があり、その中に石室の一部と思われる石材が露出しています。
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1号墳の北東100m、位置的には神野町石守の石守公民館すぐ南の園芸センター内に2号墳があります。墳丘は消失していますが、石守公民館の南30mの草むらの中に家形石棺の蓋が露出していて、その下には身が埋まっています。蓋石は184cm×94cm×36.5cm、身は150cm×80cmの大きさです。
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