兵庫県加古川市西部(東神吉町・西神吉町)の石棺群
◆妙願寺石棺群
加古川市東神吉町升田の妙願寺にあります。元々は寺の境内にあったと思われますが、最近本堂が新築されたらしく、その際に、現在の寺駐車場の片隅に、石棺材三点がまとめて置かれたようです。なかなか立派な石棺材ばかりなのに、現状はあまりにも無造作な置かれかたです。いつのまにか、造園業者に持って行かれないか心配になってきます。くり抜き式石棺の身は144cm×72.5cm×55cmの大きさで、おそらく水槽に使用されていたのでしょう。家形石棺の蓋石は152cm×77cm×35cmの大きさで、きちんとした造りです。水抜き加工があるので、手水鉢に使われていたと思われます。底石は198cm×82cm×29cmの大型の石材で組合せ用の段加工がなされています。
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妙願寺の建物が全面的に新築され、駐車場に置かれていた石棺群も、置場所が決まりました。くり抜き式石棺の身と家形石棺の蓋石は鐘楼の横に並べて安置。しかし、底石は階段の下の踏み石になってしまいました。
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加古川市東神吉町天下原、南側から平荘湖へ登っていく道の途中にあります。152cm×106cm×30cmの家形石棺の蓋に地蔵菩薩立像が彫られています。南北朝頃の彫刻です。石棺は扁平で縄掛突起がなく、新しい時期のものと思われます。その名の通り、何度起こしても前にコケるそうです。
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加古川市東神吉町神吉の常楽寺境内にあります。石棺の身に地蔵菩薩立像を半肉彫りしていますが、珍しいのは上部を屋根状に丸く加工しています。現在の大きさは88cm×72cm×25.9cmで、かつて両端に銘文があったそうですが現在は判読できません。室町前期の作と思われます。
◆真宗寺石棺
加古川市東神吉町神吉、上記の常楽寺のすぐ西の真宗寺境内にあります。172cm×83cm×28cmの大きさの家形石棺の蓋が、現役バリバリの手水鉢として使用されています。縄掛突起はありません。
◆地蔵堂地蔵石棺仏群
加古川市東神吉町神吉、上記の常楽寺の南200m、集落の中の道沿いにあり、地蔵堂の中に2基の石棺仏が並んで安置されています。右側は145cm×100cm×66cmのくり抜き式石棺の身の底に地蔵菩薩立像を厚肉彫りしたもので、室町時代後期頃の作風です。左側は113cm×106cm×60cmのくり抜き式石棺の身の底に地蔵菩薩立像を薄肉彫りしたもので、少し後の室町時代末頃の作風です。
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加古川市東神吉町神吉の県道43号線沿いにあり、2基の石棺仏が並んでいます。右側は83cm×56cm×23cmの家形石棺の蓋石に地蔵坐像を彫り出していて、銘文から応永十年(1403)の作とわかります。左側は地元で「那須の与一さん」と呼ばれていて、上半分が欠損していますが、現高31cm×58cm×18cmの石棺の身に地蔵立像が刻まれています。形式化されていますが、彫りの保存状態が良いですね。
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加古川市東神吉町砂部の神吉中学校正門を入ってすぐ右側に二基の石棺材があります。元々は西井ノ口の用水路に使用されていましたが、改修時に、現在地へ移設されました。底石は131cm×70cm×27cmの大きさで段加工があります。蓋石は127cm×69cm×22cmの大きさで、深いくり込みがあります。大きさがほぼ同じなので、この二基はセットであったと思われます。
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加古川市東神吉町西井ノ口の狭い集落内交差点にある辻堂の傍らに石棺仏と石棺蓋が立てられています。道路沿いですぐわかる石棺蓋は101cm×71cm×28.5cmの大きさで、水抜きの溝が切られているところを見ると、どこかで手水鉢として使用されていたのかも知れません。すぐそばにある石棺仏は部位は不明ですが、60cm×59cm×11.5cmの石棺材に弥陀坐像を彫り出しています。
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加古川市西神吉町宮前の真福寺前の道路沿いに、阿弥陀石棺仏と底石が並んで立てられています。左側の弥陀石棺仏は130cm×78cm×41.5cmの家形石棺の蓋に弥陀如来を刻んでいます。磨滅がひどいですが、形式化された姿から室町期のものと思われます。右側の底石は172cm×93cm×27cmの大きさで、組み合わせ用の段加工がなされています。
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加古川市西神吉町宮前の上記の真福寺境内にあります。111cm×62cm×38cmのくり抜き式石棺の身です。その前にある踏み台も石棺材っぽいです。
◆宮前石棺蓋
加古川市西神吉町宮前、真福寺から北へ行き、突き当たりを東へ200m進んだ道路沿いに、縄掛け突起のついた家形石棺の蓋石が突っ立っていて、思わずギョッとする光景です。185cm×100cm×31cmの大きさで、扁平かつ、縄掛け突起の退化が進んだ新しい形式です。おそらく板碑として使用されていたと思われますが、風化して、内容はまったく確認できません。
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加古川市西神吉町大国の常福寺墓地にあります。門を入った右側に二体の石棺仏があり、左側は112cm×69cm×26cmの家形石棺の蓋石に弥陀立像を刻出しています。石棺本来のくり込みが上側にわずかに残っています。右側は93cm×72cm×25cmの底石に地蔵立像を刻んでいますが、かなり磨滅が進んでいます。また、門の前の敷石にも162cm×77cmの石棺の側石が転用されています。毎日、人に踏まれて、かなり磨耗が進んでいそうです。
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常福寺前の駐車場の片隅にある物置の奧にくり抜き式石棺の身が置かれています。境内の向かって左側の石棺仏と一体であったと考えられています。132×71×44cmの大きさで状態は良好です。
加古川市西神吉町大国の上記の常福寺すぐ裏の路地に三基の石棺仏が並んでいます。左の地蔵石棺仏は、131cm×81cm×20cmの石材に地蔵菩薩立像を彫り出しています。中央の弥陀石棺仏は、86cm×83cm×18cmの石棺材に弥陀如来座像をほぼ同じ手法で彫り出しています。右の地蔵石棺仏は87cm×26cm×13cmの石材の上部を加工し、地蔵菩薩立像を彫り出しています。いずれも室町初期頃のものと思われます。
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加古川市西神吉町大国、県道515号線沿いにある大歳共同墓地の入口にあります。154cm×83cm×25.5cmの家形石棺の蓋石に弥陀坐像が半肉彫りされています。室町中期の作かと思われます。石棺は縄掛け突起がなく、モダンなデザインです。
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加古川市西神吉町岸の正岸寺境内にあります。築山の中に祭られている石棺仏は、96cm×56cm×16cmの底石に弥陀坐像を刻んでいます。蓮華座ではなく、四角い台の上に坐しているのが珍しく、作風から室町後期の作と思われます。すぐそばに117.5cm×62cm×45cmの石棺身が置かれています。かつて、境内の土中から発見されたらしく、境内に古墳が存在したのかもしれません。境内には、このほか元、岸墓地にあった家形石棺蓋も移設されて置かれています。
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加古川市西神吉町辻の民家敷地内にあります。道路に面した小堂の中に、「辻姫之墓」と刻まれた170cm×95cm×30cmの大型の家形石棺の蓋が立てられています。戦国時代にこの地に住み着いた武将の未亡人を、後、その子供達が顕彰した石碑と言われています。このあたりは、竜山石の産地がすぐそばで、保存状態もなかなか良好です。
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加古川市西神吉町岸の岸墓地にあります。東側の入口にある石棺仏は72cm×49cm×11cmの石棺材に地蔵立像と思われる彫刻がされています。石棺材としてはかなり加工されていて、元の姿を留めていません。最も奧にある弥陀三尊種子石棺板碑は、100cm×66cm×18cmの家形石棺の蓋に弥陀三尊種子が刻まれています。石棺蓋としての保存状態は稜線が良好に残っています。なお、もう1基存在した石棺蓋が現在、正岸寺に移設されています。
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加古川市西神吉町辻の正念寺のすぐ東にあります。コンクリブロックのお堂の中に110cm×64cm×33cmのくり抜き式石棺の身を使用した石棺仏が祭られています。上下に側面を残して、底の部分に弥陀坐像と地蔵立像を彫りだした珍しい構成です。現在はどちらも顔の部分が欠損していますが、何か信仰上の理由によるのかもしれません。南北朝ころの作です。なお、正念寺にも石棺の身と思われる手水鉢が置かれていますが、資料にはありません。
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加古川市米田町平津の福正寺境内にあります。家形石棺の蓋石両端を削って地蔵立像が刻まれていて、さらに像の向かって左側が削られています。現在の大きさは91cm×33cm×18cmです。地蔵立像の頭上に種子が刻まれています。
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同じ境内に家形石棺の蓋石が置かれているらしいので再訪しました。蓋石は115×69×33cmの大きさで竜山石製です。なお、石棺仏の説明板が新しくなっていました。
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