三重県亀山市の古墳
■井田川茶臼山古墳
亀山市みどり町、井田川団地内の公園に一見、保存されているように見えますが、古墳自体は完全に破壊されて、現在見えているのは石室材を適当に積み上げただけの石組みです。北勢地域では初期の横穴式石室であり、復元模型が亀山市歴史博物館と斎宮歴史博物館にあります。
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亀山市田村町の能褒野神社境内にあります。御幣川と安楽川の合流点の段丘上に所在する全長90m、後円部径54mの北勢地域最大の前方後円墳です。出土した埴輪から四世紀末頃の築造と見られます。明治時代に日本武尊能褒野墓に定められ、現在は宮内庁が管理しています。墳丘の周囲の周溝、堤は明治時代に加えられたものです。
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能褒野王塚古墳の周辺に密集する群集墳で、16基からなりますが、分布図には17基記され、すべて6世紀以降の後期の円墳と思われます。能褒野王塚古墳の東から北側にかけての能褒野神社境内地には1〜10号墳があります。2013年に半分ほど調査され、1号墳北側のろ号陪塚となっているマウンドは古墳とされていませんが、ここも調査されていたので、古墳だったかも知れません。3、6号墳は、7号墳に隣接していますが、わずかなマウンドがある程度です。
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能褒野王塚古墳の後円部付近北側には11号墳があります。後円部西となりには新しい公園があり、その南側に12、13号墳、西に小さな14号墳、その北の宅地に15号墳、さらに北に16号墳があります。17号墳は神社南東の参道沿いにあるようです。
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亀山市井尻町の亀山自動車学校そばにあります。全長53.5m、後円部径24.3mの前方後円墳で、鈴鹿川を見下ろす段丘上にきずかれた六世紀前半の首長墓です。鈴鹿川の対岸にも西ノ野1号墳、愛宕山古墳といった前方後円墳が集中して築かれています。