福井県若狭町(旧上中町)の古墳


大谷古墳 【管理人推薦】【町史跡】

 下夕中字大谷、福祉施設ナイスプラザ上中の北側、県道沿いのかなり急な尾根先端頂上にある径27.5mの円墳です。石室はほぼ完存、全長10.7m、玄室長5.1mの大型の左片袖式で、玄門部や天井には巨石を使用し、床面の敷石も保存状態良好です。六世紀中頃の築造です。


脇袋古墳群 【国史跡】

 

 前方後円墳の3基が国史跡。脇袋の集落全体に散らばるように分布する現存4基の古墳群で前方後円墳3、円墳1からなります。

上ノ塚古墳、全長90m、後円部径51m、若狭地方最大の前方後円墳で、周溝の痕跡も良く残っています。

丸山塚古墳(上下の森古墳)、谷間の東の尾根先端にある帆立貝式古墳で、後円部は半分削られています

中塚古墳、全長60mの前方後円墳です

糠塚古墳、唯一の円墳
 

 西塚古墳は五世紀後半に築かれた全長74mの前方後円墳です。大正5年に土取りのため前方部が削平され、そのときに後円部の横穴式石室が一部露出。石室内から金製の耳環や馬具など豪華な副葬品が出土し、現在は宮内庁書陵部が所蔵しています。2020年度からの範囲確認調査の結果、西側くびれ部と前方部南東隅が検出され、葺石の基底部が良好に残っていました。くびれ部では、落下した朝顔形埴輪のほか、周濠から祭祀に用いられたと思われる木製品が完形で出土しました。前方部南東隅では築造時に使用されたと思われる丸太を利用した陸橋状遺構が発見されました。この辺りは湧き水が豊富なためか、木製品が良好に残っているようです。

後円部が残存、前方部(左側)は削平

手前が前方部の残り、左奧が後円部の残丘

くびれ部から見つかった完形の木製品

くびれ部、左側が後円部

前方部の南東隅


藤井岡古墳

 若狭町藤井、国道27号線から少し山を登ったところにあります。脇袋古墳群の北方の丘陵裾に築かれた径23mの円墳で、2015年に範囲確認調査が行われました。その結果墳丘の裾で葺石の基底部を検出、また、円筒埴輪列の一部、甲冑形埴輪を検出しました。甲冑形埴輪は三角板革綴短甲を忠実に模したもので、古墳築造、埴輪製作技術において、ヤマト政権の影響を強く受けた古墳とわかりました。

第1トレンチの葺石

第2トレンチの円筒埴輪

甲冑形埴輪


藤井岡三昧古墳

 若狭町藤井、藤井岡古墳のある丘陵の裾近くの墓地奧にあります。径20mほどの円墳で、未調査のため、詳細は不明です。

 


天徳寺古墳群

 JR上中駅西一帯に分布する横穴式石室を主体部とする後期の古墳群です。

 十善の森古墳 【県史跡】

 JR上中駅西1km、国道27号線沿いにある全長68mの前方後円墳で周溝が巡ります。前方部、後円部それぞれに横穴式石室が存在しますが現在埋め戻されています。後円部の石室前には陸橋が設けられていました。六世紀初め頃の築造です。

国道27号線沿いにあるのですぐわかります

後円部石室内部画像

 上高野古墳

 十善の森古墳の東200mの道路沿いの竹林中に巨石が露出しています。下部が埋もれていますが、中規模の石室と思われます。

 

 丸山塚古墳跡地

 十善の森古墳の北300m、線路を潜ったところに石碑が建てられています。全長17m、若狭最大、全国でも屈指の大石室をもつ大型円墳でしたが、土取りのため昭和28年に消滅しました。現在跡地に建つ石碑は石室の石材を使用して造られた物です。

  破壊中の丸山塚画像

丸山塚古墳跡地

石室画像


上船塚・下船塚古墳 【国史跡】

 上船塚は国道27号線沿いにある全長75mの前方後円墳です。下船塚はすぐ北にあり、全長80mのやはり前方後円墳です。ともに周濠や埴輪が残っていますが、未調査のため内容は不明です。

 


玉塚古墳

 上・下船塚の東500mくらいの水田中にあり、国道から見えています。横穴式石室が露出しており、全長6mくらいの小石室と見られます。

周囲を水田に囲まれ近づけない

石室のアップ


<ホームへ戻る>

 

inserted by FC2 system