福岡県苅田町の古墳


雨窪古墳 【管理人推薦】

 町史跡。苅田町若久町9-15、東九州自動車道苅田北九州ICそばの県道に標識が出ています。巨石を使用した横穴式石室が良好に残されています。全長約10mの複室構造で、石材は切石風に加工し、床には石が敷かれています。残念ながら内部には入れません。六世紀後半の築造です。

墳丘全景

石室正面

前室から後室方向

前室左側壁

石塚山古墳

 国史跡。苅田町富久町一丁目、苅田町役場の隣にあり、前方部上に浮殿神社が建てられています。全長130m、後円部径70mの前方後円墳で、後円部は三段、前方部は二段築成。前方部はややバチ形に開き、古い形態を示しています。後円部の中央にある竪穴式石室は江戸時代に開口し、そのときの三角縁神獣鏡などの出土品は重要文化財となっています。1987年に再発掘されましたが、石室は大破していました。後円部上にいくつかある石材が石室のものでしょうか?出土品や墳丘の形態から、四世紀初頭の築造と考えられます。

前方部上に神社がある

後円部墳頂、竪穴式石室の石材か?

御所山古墳

 国史跡。苅田町与原、国道10号線沿いにあり、古墳上には白庭神社が建てられています。全長119m、後円部径72mの前方後円墳で、三段築成。クビレ部両側に造出しを設け、今も水を湛える周濠が巡ります。主体部は古式の横穴式石室ですが埋め戻されています。

後円部東側

前方部の端、周濠が良好に残る

番塚古墳

 福岡県史跡。苅田町尾倉4335、御所山古墳の北300mの住宅街の中にあります。元は全長50mの前方後円墳でしたが墳丘はすでに失われ、1959年に宅地造成中に埋まっていた横穴式石室が偶然発見されました。内部は埋葬当時の姿がそのまま残っていましたが、そのわりには現状の保存形態は改変しすぎではないでしょうか。横穴式石室は全長3.65m、奥壁幅1.96m、玄門部幅1.50m、高さ1.9mの両袖式で、石室前に石垣で前庭部を構築し、さらに地山を掘り込んで墓道が設けられていました。奧・側壁は大型の腰石の上に小型の割石を横積みしています。側壁は若干持ち送り、天井は四枚です。五世紀末〜六世紀初頭頃の築造で、京都郡では最古級の横穴式石室です。

マンションの入口のような現状

石室正面の前庭部

玄室奥壁

石室実測図

恩塚古墳 【管理人推薦】

 町史跡。苅田町新津、県道254号線沿いの大原八幡神社の裏山にあります。径25mの円墳で、南に横穴式石室が開口しています。全長6.5mの複室構造で後室は正方形の平面プラン、奥壁は一枚石で全体に巨石を使用しています。床面には平石が敷き詰められています。六世紀後半の築造です。

石室入口

前室から後室方向

後室奥壁

後室から入口方向

山口南古墳群 【管理人推薦】

 苅田町山口、県道64号線沿いに説明板があり、そこから西の山林内に3基の後期古墳が存在しています。いずれも径20mほどの円墳で横穴式石室を持ち、1、2号墳は大型の複室構造の石室がほぼ完存しています。1号墳は石室入口に扉がありますが、入室可能。前室、後室の玄門がいずれも左袖石が張り出していて、石室の主軸が曲がっているような印象です。全長約10m、巨石をふんだんに使用し、奥壁には巨大な三角形の一枚石を据えています。床にはびっしりと礫を敷き詰めています。六世紀後半頃の築造で、八世紀まで追葬され、さらに裏山が修験道の山のためか、中世の遺物も出土しています。

石室開口部

羨道から前室

前室から後室

後室奥壁

前室から入口方向

羨道奧から

 すぐ上にある2号墳は、町内では最大の複室構造の石室が開口しています。全長12m、後室長4m、幅2.5m、高さ2.8m、1号墳同様に巨石を使用し、奥壁にも巨大な三角形の一枚石を据えています。床には礫を敷き詰め、1号墳と比べるとより直線的、かつシンメトリーに造られています。1号墳よりは後に築かれたと思われ、ここでも中世の遺物が出土しています。

石室開口部

羨道から前室

前室から後室

後室奥壁

後室から入口方向

前室から入口方向

 2号墳のとなりに3号墳があります。保存状態は良くなく、墳丘はかなり流失し、石室が露出しています。1、2号墳よりは小さな石室で、内部は殆ど埋まっています。

石室入口

石室内部、ほとんど埋まっています

黒添夫婦塚古墳

 苅田町黒添の貴船神社境内にあります。全長約30mの前方後円墳で、前方部、後円部それぞれに横穴式石室を持つ双室墳です。現在墳丘が東側クビレ部を中心に大きくコの字形に削られて、社殿が建てられています。そのため、後円部石室の開口部が露出していますが、内部は良好に保存されています。全長6mほどで、玄室は2m四方ほどの大きさで狭く、持ち送りがあり、その割に石材は巨石を使っています。一方、前方部の石室はかなり破壊されていて、痕跡と一部石材を残すのみで、南側の墳丘裾にも石材が散乱しています。

半壊した後円部

後円部石室

後円部石室の玄室奥壁

クビレ部、左が前方部

前方部の石室跡

前方部斜面に石材が散乱


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