兵庫県加西市南部の古墳
◆後藤山古墳 【管理人特選】【県史跡】
加西市倉谷町の倉谷薬師堂の西200mの民家裏に石棺蓋石があり、そこから50m登った斜面に墳丘があります。石棺とセットで県史跡です。墳形は不明ですが、方墳に見えます。地山を掘り込み、巨石で築かれた横穴式石室は羨道が崩壊していますが、玄室長4m、幅2.7m、高さ1.9mの左片袖式で持ち送りがないので広い空間に感じます。麓にみごとな四注造り屋根の家形石棺蓋石があり、奈良の菖蒲池古墳以外では、見学できるのはここだけです(と思う)。また、倉谷薬師堂には鎌倉期の石棺仏が2基残されていて、これらも後藤山古墳から持ち出された可能性が指摘されています。実際、玄室は石棺が複数入る広さです。麓の民家の地主の方に案内してもらいましたが、父親の代から古墳を守ってこられた方で、見学者のために草刈りや階段を設置したりしているそうで、古墳ファンとしては表彰したくなるような人でした。もう、トシで、そろそろしんどいとおっしゃってましたが・・・。
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加西市網引町の南網引交差点の北150mの県道79号線沿いに2号墳の石室が開口しています。車で通ると、うっかり通り過ぎてしまうので注意。径15mほどの円墳で、東南東に開口する横穴式石室は全長8m、玄室長5m、幅1.8m、高さ1.9m、羨道長3m、幅1.5m、高さ1.5mの両袖式ですが、袖部はほとんどありません。奥壁、天井に巨石を使用しています。すぐ北に1号墳の石室が露出していますが、かなり崩壊していて、全体像はよくわかりません。なお、古墳群の裏に石棺仏があります。
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加西市網引町の乳牛育成牧場の北に隣接する丘陵上の9基からなる古墳群で、県道79号線から送電塔をめざして丘を登っていき、そこから薮の中をさらに進んだ所に7号墳の墳丘が見えてきます。道が未整備のため、到達するのが非常に困難ですが、最も麓にかたまる5、6、7号墳は保存状態の良い石室が見学できます。2号墳は斜面左奥にあり、石室がわずかに開口、全長2.5m以上で土砂にかなり埋まっていて、大きな石材が下の方に転がっています。3号墳はそのとなりの最高所にありますが、薮に覆われてよくわかりません。4号墳は石室が破壊され、石材が散在。5号墳は全長5.2m、玄室長3.5m、幅1.4m、高さ1.5m、羨道長1.7m、幅1.1mの両袖式で、奥壁はほとんど1枚石、袖部は袖石が立てられています。羨道部がやや破壊されています。6号墳は全長7m、玄室長4.2m、幅1.8m、高さ2m、羨道長2.8m、幅1.4m、高さ1.5mの両袖式で、奥壁は巨大な1枚石で保存状態は良好です。7号墳はもっとも麓にある最大の古墳で、全長8.5m、玄室長4.5m、幅2.3m、高さ2.3m、羨道長4m、幅1.8m、高さ1.7mの両袖式で、奥壁は巨大な1枚石で、ほぼ完存しています。5、6、7号墳は1枚石の奥壁と袖石を立てた狭い袖部という共通した構造を持ち、ほとんど相似形に近いです。
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加西市網引町糠塚の糠塚山西麓にあります。15基からなる群集墳で2005年の調査で6基が調査され、2、3号墳から横穴式石室が検出されました。4号墳は石室の石材がすでに露出しています。
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加西市網引町、糠塚古墳群の南1km、新池というため池の奥にあります。池東側の農道の行き止まり地点の林の中に1号墳があり、横穴式石室の奥壁側が開口しています。全長8m、幅1.5mの無袖式ですが、羨道部はほとんど埋まっています。1号墳から、南へハイキングコースを登っていくと、200mほどで、道を挟んで2、3号墳が並んでいます。左側の2号墳は墳丘がほとんどなく、少し石材が露出している程度、右側の3号墳は墳丘は残っていますが、石室は半壊しています。
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