兵庫県加西市西部の石棺群


王子町墓地・阿弥陀六地蔵石棺仏

 加西市王子町の集落はずれの小さな墓地内にあります。156×85×27cmの石棺蓋石に六地蔵が彫られています。南北朝頃の模式化された素朴な図案ですが、阿弥陀はどこに?それにこれは蓋石でしょうか?

正面

横から


多聞寺・三界萬霊碑

 加西市尾崎町の多聞寺境内にあります。大型で肉厚の家形石棺蓋石を転用した三界萬霊碑です。縄掛突起のないシンプルな形状です。

正面

横から


大村石棺仏

 加西市指定文化財。多聞寺の西100m、加西市大村町の大村バス停そばにあり、石棺側石を使った二体の石棺仏が並んでいます。右側は141×56×15cmの大きさで、阿弥陀座像を半肉彫りしていて、康永元年(1342)の銘があります。小谷石棺仏と作風が似ており、年代も近いため同じ作者のものと思われます。左側は77×47.5×13cmの大きさで、観音像を半肉彫りしています。これも同時期、同作者と思われますが、市内で観音像の石棺仏は唯一の例です。

コンクリブロック製のお堂

右側は割れています


岸呂阿弥陀堂・三界萬霊碑

 加西市岸呂町の岸呂阿弥陀堂境内にあります。組合せ式石棺の側石を転用した三界萬霊碑です。石材の側面には段差加工が残っています。

左端が三界萬霊碑

正面


西長・阿弥陀三尊種子石棺板碑

 加西市西長町の北条鉄道長駅西100mの畑の中に二基の石棺材が並んでいます。右側は106×67×21cmの家形石棺蓋石、左側は97×72×21cmの石棺底石で、ともに阿弥陀三尊の種子を墨書しています。江戸時代末期頃のもので、墨書の板碑自体珍しく貴重な例です。どちらも石棺材としては肉厚で、荒々しい加工痕もリアルに残っています。また、近くにも石棺材と思われる石仏があり、後ろに組合せ式の蓋石も倒れています。

二体の石棺板碑

裏より

底石の板碑

蓋石の板碑

近くにある石棺仏

石棺仏の後ろにも蓋石がある


妙厳寺・結界石、墓地石棺

 

 加西市東剣坂町の妙厳寺前にあります。大型の家形石棺の蓋石が寺の領域を示す結界石に転用されています。154×69×29cmの、かなり薄い石材で、縄掛突起もなく、スマートなデザインです。

正面

裏側

 境内の東の墓地にも、家形石棺の蓋が立てられています。幅61cm、厚さ15cmの小さめのサイズです。

左下が石棺材

丸みを帯びたデザイン


西剣坂農村広場石棺

 加西市西剣坂町、県道81号線沿いにある西剣坂農村広場の奧の斜面に二基の家形石棺蓋が置かれています。どちらも大型で、地元の長石製の石材です。縄掛突起はなく、右側の方が薄く新しいタイプです。なぜ、ここにおかれているのかはわかりません。

グランドの奧の斜面にある

左側の蓋石(198×101×27cm)

右側の蓋石(161×78×27cm)


薮宮神社石棺群

 上記の西剣坂農村広場の西の集落の奧に薮宮神社があり、その境内に2基の石棺材が残されています。鳥居の下の踏み石には組合せ式石棺の長側石が転用されています。103×23×9cmの大きさです。社殿の横には、家形石棺の蓋石の一部が二つに割られて置かれています。幅88cmあります。

鳥居下の最下段にある

踏み石に転用された長側石

家形石棺の蓋の一部


古法華石棺

 

 加西市西長町、古法華自然公園内の古法華寺参道に二基の石棺材が並んでいます。ともにくり抜き式石棺の身で、かなり破壊されいるので、元々は何かに転用されていたものと思われます。すぐ近くの採石場でとれる長石製です。

左側

右側


山下・阿弥陀三尊種子石棺板碑

 加西市山下町、中山下バス停の南東200mの山裾の道路沿いに他の石仏とともにあります。72×64×13cmの石棺蓋石に阿弥陀三尊種子が彫られています。室町時代中期の頃のものです。

正面

裏側


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