宮崎県川南町


川南古墳群 【国史跡】

 

 川南町大字川南西別府、小丸川北岸の台地上に分布する古墳群で、約0.5平米の狭い範囲に前方後円墳24基、円墳24基、方墳1基が集中していて、大きく6つのグループに分かれています。四世紀〜六世紀の約300年間にわたって造営された古墳群で、前方後円墳の比率が高いのが特徴です。ほとんど未調査のため、詳細はわかっていませんが、分布図を見ると、前方後円墳の向きに方向性がありそうです。

 Cグループ

 西別府の農地の東寄り、自動車整備工場付近にあり、ここの2号墳のところに説明板があります。前方後円墳2、円墳4基からなります。4、29号墳が前方後円墳です。

4号墳

29号墳

 1、2、3、5号墳は円墳で、3号墳は大型です。

1号墳

2号墳、ここに説明板がある

3号墳

4号墳

 Dグループ

 Cグループの西の町道南側に分布する円墳10基からなります。6〜9、57、34、25〜27、57号墳が東西方向に並んでいます。

左奧が6号墳、右が7号墳

左が8号墳、右奧が9号墳

34号墳

 Bグループ

 Dグループの南側に隣接する農地に分布します。10〜12、18、19、21〜24、28号墳の9基が前方後円墳、12〜15号墳の4基は円墳、16号墳は群中唯一の方墳です。このうち、11号墳は大型の前方後円墳で、39号墳とともに、群中で最初に築かれたとされています。

10号墳

11号墳

 A2グループ

 Dグループの北側に隣接してA2グループがあります。前方後円墳5、円墳2基からなります。30、31、33号墳はいずれも全長70mほどの前方後円墳です。

30号墳

31号墳

33号墳

 A2グループの北寄りにある32、35号墳は小円墳、43、45号墳は前方後円墳です。

32号墳、円墳

43号墳

35号墳、円墳

45号墳、前方後円墳

 A1グループ

 西端にあるA1グループは前方後円墳6、円墳1基からなります。とくに39号墳(大塚)は全長112m、後円部径63mの群中最大にして最古の前方後円墳で、周囲に小前方後円墳5基を従えています。

盟主墳の39号墳、左手前に40号墳、ともに前方後円墳

41号墳、前方後円墳

42号墳、前方後円墳

左から36号墳(円墳)、37、38号墳は前方後円墳

 Eグループ

 他のグループから北東500mに離れた農地にEグループがあります。東端に並ぶ50、49号墳は前方後円墳、西側の46〜48、56号墳は円墳で、比較的大型の円墳が存在します。

50号墳、前方後円墳

49号墳、前方後円墳

56号墳、大型の円墳

46号墳、円墳

右手前が48号墳、これも大きな円墳、左奧が47号墳、円墳


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