京都府与謝野町(旧加悦町中部)の古墳


蛭子山古墳 【管理人推薦】【国史跡】

 与謝野町(旧加悦町)明石、国道176号線沿いの与謝野町古墳公園内にあります。全長145m(復元長170m)、後円部径100m、前方部幅62mの大型前方後円墳で、日本海側では第三位の大きさです。墳丘の保存状態が非常に良く、樹木も手入れされているので、観察も容易です。墳丘は三段に築かれ、埴輪列、葺石が認められます。地震を契機に過去に三回調査され、その結果、平行する3基の埋葬施設が後円部で検出されています。中央の第一主体部は巨大な墓壙に花崗岩製の舟形石棺が安置され、埋め戻した上に埴輪が並べられていました。第二主体部は竪穴式石室でした。現在、後円部墳頂の覆屋の中に石棺が置かれて見学可能です。四世紀中頃の築造です。

史跡範囲の墳丘実測図

右が後円部

後円部から前方部

舟形石棺


作山古墳群 【管理人推薦】【国史跡】

 与謝野町(旧加悦町)明石、蛭子山古墳と同じ与謝野町古墳公園内にあり、四世紀後半から五世紀初めにかけて築かれた5基の古墳と1号墳周辺の埋葬施設からなります。西から5→1→2→3→4号墳の順に築かれ、1〜4号墳はすべて違う墳形です。

 

 5号墳は最初に築かれた一辺13mの方墳で、葺石・埴輪はなく、主体部は6.4m×0.8mの木棺直葬です。棺内から銅鏡、石釧、玉類が見つかっています。5号墳に掠るように築かれた1号墳は四世紀後半の全長36mの帆立貝式古墳(または造出付き円墳)で、二段築成、葺石・埴輪を伴います。主体部は副室付き組合せ式石棺で、熟年男性が葬られていました。副室からは鉄製武器、農具が出土しました。墳丘を取り囲むように木棺墓6、埴輪棺墓6、土器棺墓、土坑墓2基が見つかっています。

5号墳

1号墳、手前が造出し、右下に埴輪棺跡

1号墳埋葬施設の展示施設

木棺墓跡

 2号墳は径28mの二段築成の円墳で、葺石はなく、埴輪はあります。墳頂に、壷形土器を並べた方形区画があり、復元されています。3号墳は一辺17mの方墳で、北側に溝があります。葺石はなく、埴輪は少し見つかっています。主体部は未調査です。4号墳は全長30mの前方後円墳で、埋葬施設はすでに削られていました。3号墳と溝を共有しているので、同じ頃の築造と思われ、平野に向かった南側だけ二段で立派に見せています。

2号墳

2号墳墳頂の土器と埴輪列

手前が3号墳、その向こうが2号墳

4号墳

4号墳、平野側を立派に見せている


蛭子山古墳群 【2、3号墳が国史跡】

 蛭子山古墳群は、蛭子山古墳も含めて8基からなります。蛭子山古墳の後円部と接するようにして2号墳があります。一辺42mの方墳で、二段築成、造出しがあります。東となりの3号墳は一辺15mの方墳です。4〜8号墳はすべて小方墳です。

2号墳

3号墳


日吉ヶ丘遺跡方形貼石墓

 与謝野町(旧加悦町)明石、蛭子山古墳の北側の低い丘陵上に築かれた弥生中期後半の大型の墳丘墓です。遺跡は環濠集落と墓域からなり、その中でも、方形貼石墓は33m×22m×2.5mの規模で、陸橋を残して周溝が巡り、墳丘斜面には平らな石をきっちりと貼り巡らせています。埋葬施設は5.2m×3.2mの墓壙に組合せ式木棺が納められ、棺底から朱と430個以上の管玉が見つかりました。最初に築かれた丹後地方の王墓と考えられ、同時期の墳丘墓としては全国で3番目の規模です。

 

貼石

木棺内の朱と管玉


明石大師山古墳群

 与謝野町(旧加悦町)明石、蛭子山古墳群のある丘陵から道路を挟んで東隣りにある大師山の尾根筋に築かれた前期群集墳で、中規模の首長墓と階段状古墳の計56基からなり、尾根筋毎に4支群に分かれます。2003年度にA、B支群が調査されました。A4号墓は8.5m×11.5mの台状墓、A6号墳は7m×7.6mの台状墓、A8号墳は19m×20mの前期前半の中規模長方形墳で、3基礎の埋葬施設があり、首長墓クラスです。A9号墳も20m×17mの前期前半の中規模の楕円形墳です。B3号墳は16m×13mの楕円形墳で埋葬施設2基。B7号墳は4.3m×10mの前期前半の台状墓、B10号墳は11m×8.5mの前期前半の台状墓で3基の埋葬施設を持ちます。B11号墳は17m×12.5mの前期初頭の楕円形墳で、埋葬施設は2基あります。すぐ近くの日吉ヶ丘墳丘墓と蛭子山古墳の間をつなぐ時期の古墳群と思われます。

A4号墳

A6号墳

A8号墳

A9号墳

B3号墳

B7号墳

B10号墳

B11号墳


滝谷古墳群

 与謝野町(旧加悦町)明石、大師山の北側の谷間を東へ進むと、道路の右側にため池があり、その周囲に終末期の滝谷古墳群8基が分布しています。2008年に1、2、7、8号墳が調査されました。1、2号墳は元々、天井石が露出していましたが、横穴式石室が良好に残っていました。1号墳は径16mの円墳で、上下二段の列石が周囲を巡ります。石室は全長8.23m、玄室長5.04m、幅1.81m、高さ1.9m、羨道長3.19m、幅1.4m、高さ1.47mの右片袖式で、玄室天井は中高式です。同型式の石室は与謝野町内に他に4基存在します。入口付近から銅椀が出土しました。8号墳をはさんで東30mにある2号墳は径16mの円墳で、石室は全長5.45m以上、玄室長4.05m、幅1.75m、高さ1.8m、羨道幅1.2mの無袖式です。一重の列石と周溝が巡ります。

1号墳石室正面

1号墳石室内部

1号墳右側壁、中央部が高くなっている

2号墳石室

2号墳玄室奥壁付近

2号墳石室奧から

 1号墳の西となりにある7号墳は径8mの円墳で、列石の一部が残っています。横穴式石室は全長4.8m、幅0.9m、高さ1.10mで、玄室と羨道の区別はありません。1号墳と2号墳の間からは8号墳が見つかりました。道路の盛り土の下から列石の一部だけが検出されたため、内容は不明です。

7号墳石室正面

7号墳石室奧から

8号墳の墳丘列石

手前から7、1、8、2号墳


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