福岡県桂川町・嘉麻市・川崎町・大任町


寿命王塚古墳 【管理人特選】【国特別史跡】【装飾古墳】

 桂川町寿命、1934年に土取り工事中偶然発見された復元長86m、後円部径56mの六世紀中頃の前方後円墳です。前方部はほとんど失われています。二段築成で、下段は地山を削り出し、上段は版築で築かれています。幅10mの浅い周溝が巡り、葺石・埴輪が認められます。主体部はくびれ部に開口する横穴式石室で、全長6.5m以上、後室長4.3m、幅3.1m、高さ3.8m、前室幅2.9m、高さ2.4mの複室構造、羨道は現存しません。後室は大型ですが持ち送りが強く、古い様相を示します。しかし、構造は複雑で、正面には二体分の石枕付き屍床を収めた石屋形を据え、その前面に一対の灯明台の板石を立てています。石屋形の上には巨大な石棚を奥壁から突き出しています。また、後室の玄門部には小窓を開けて、閉塞していても、目の高さで奥壁が視野に入るようにしています。これらの構造は、他に例がありません。後室入口は扉石一枚、前室入口は閉塞石で閉塞されていました。

装飾壁画公開日の様子

保存施設入口

 石室内部は、前室の両側壁以外のすべての面(天井も含め)に極彩色で装飾が描かれており、装飾古墳の最高峰として特別史跡に指定されています。石室は壁画の保護のため、保存施設で完全に密閉されています。春秋の二回公開されますが、玄門しか見ることができず、また退色が著しいので、期待しすぎると残念な思いをします。普段は隣接する王塚装飾古墳館に石室の精巧なレプリカがあり、本来の装飾が復元されているので、そちらを見学すると良いでしょう。装飾は石室の全面を赤色顔料で塗りつくし、赤・黄・緑・黒・白の五色で壁画が描かれています。玄門左右袖石の前面に騎馬人物像(人物像はショボイが、馬は丁寧に性別まで表現されている)・蕨手紋・双脚輪状紋・連続三角紋、マグサ石前面に蕨手紋・双脚輪状紋、袖石後面に靫・大刀・連続三角紋、マグサ石後面に連続三角紋、左側壁腰石に盾・連続三角紋、右側壁腰石に靫・弓と連続三角紋、石屋形全面に連続三角紋、屍床前面に蕨手紋・連続三角紋、石屋形前の左右灯明台に靫・蕨手紋・双脚輪状紋・同心円紋が描かれ、それ以外の後室壁面、前壁、石棚、天井には黄色の円紋(星?)が散りばめられています。墳丘、石室、装飾すべてが王者の墓に相応しい内容です。さて、今では立派な保存施設もできて、なんとか、保存されている王塚古墳ですが、今日まで残されたのは決して偶然ではなく、数々の危機に対して私財を投じたり、時には身体を張って古墳を守った故西村二馬氏の生涯に渡る献身的な働きに拠るものだということを忘れてはなりません。

 

前室から後室の前壁

マグサ石の蕨手紋、双脚輪状紋

右袖石の騎馬人物像、蕨手紋、同心円紋など

左袖石の騎馬人物像、蕨手紋、双脚輪状紋、三角紋など

石屋形と屍床の連続三角紋

石棚と奧・側壁、天井部の赤の彩色と黄色の円紋

石屋形前の右灯明台の、蕨手紋、双脚輪状紋

石屋形前の左灯明台の、蕨手紋、双脚輪状紋

右側壁の、連続三角紋

左側壁の盾、連続三角紋

後室玄門奧から、袖石に、大刀、連続三角紋

天井石にも黄色の円紋


二塚2号墳、明寺原古墳

 桂川町寿命の王塚装飾古墳館敷地内に、2基の箱式石棺が移築されています。二塚2号墳は桂川町土師に存在した前期の円墳で、板石で造られた箱式石棺が移築されています。そばに蓋石らしい石材が置かれています。明寺原古墳は九郎丸に存在した円墳で、こちらの石棺は割石で造られています。ひょっとしたら竪穴式石室かも知れません。

 

二塚2号墳の箱式石棺

明寺原古墳の箱式石棺


沖出古墳 【管理人推薦】【県史跡】

 嘉麻市漆生才ノ木78-1、国道211号線沖出交差点から東へすぐのところにあり、沖出古墳公園として整備されています。全長68m、後円部径40mの前方後円墳で、前方部二段、後円部三段に築かれています。葺石、埴輪が認められ、特に前方部から船の線刻がある朝顔形埴輪が見つかっています。主体部は後円部の竪穴式石室で、3.7×1.49×1.2mの大きさ、壁面は赤く塗られていて、床面には粘土を張った上に赤く塗った川原石が敷き詰められていました。中央に2.8×0.73×0.77mの砂岩製割竹形石棺が置かれていました。両端には縄掛突起が1個ずつついています。現在、石室は一部修復し、石棺は複製品が置かれて、見学施設が造られていますが、公開されるのは春秋の年二回のみです。

 

後円部から前方部

竪穴式石室内部と復元石棺


戸山原古墳(1号墳) 【町史跡】

 川崎町安眞木4974、真崎小学校から南東へ丘陵上の道を1kmほど進んだ道路沿いにあります。1963年に発見された七世紀前半の径15mの円墳で、横穴式石室は全長5.3m、後室長2.6m、幅2.4m、高さ2.2mの複室構造です。羨道の前側はすでに破壊されていました。2005年3月の福岡沖地震で石室が崩落したため、しばらく閉鎖されていましたが、2010年に修復が完成し、周辺も公園化されました。公園内には石室の側壁が復元展示されています。石室は2010年秋から、春秋の年二回公開されます。

整備された墳丘

石室入口、羨道部

石室内部、後室の玄門部、袖石が力強い

公園内に石室側壁を復元


建徳寺古墳(建徳寺2号墳) 【管理人推薦】【町史跡】

 大任町今任原1670、田川盆地を見下ろす丘陵先端にあり、1号墳はすでに消滅。2号墳が現在、建徳寺古墳公園として整備公開されています。径20mの円墳で、横穴式石室が墓道も含め、比較的良好に残っていました。全長3.6m、後室長2.1m、幅1.9m、前室長1.1m、幅1.3mの複室構造で、石室前には長さ6m、幅1.8mの墓道がつきます。また、閉塞石が良好に残っていました。石室はUFOのような覆屋で保護され、ガラス越しに見学できます。石室内には、須恵器、大刀などの副葬品のレブリカが原位置に展示されています。石室は春秋の年2回公開されますが、普段公開されているかは不明。

石室正面、閉塞石がそのまま展示

前室

後室、左が奥壁

後室奧から玄門方向


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