京都府木津川市(旧木津町・加茂町)の古墳


上人ヶ平古墳群

 旧木津町市坂、ガーデンモール木津川の南200mにあります。17基の円墳と方墳からなり、現在上人ヶ平遺跡公園として整備中で、おそらく近い内に公開されるでしょう。2006年に5号墳が調査され、五世紀後半の径22mの造り出し付き円墳とわかりました。二段築成で周溝、円筒埴輪列が巡り、葺石も良好に残っていました。円筒埴輪、形象埴輪が多数出土し、帆船を線刻したものも見つかっています。

遺跡公園の入口

古墳群の整備状況、手前が5号墳

調査時の5号墳、造出し部

墳丘斜面の葺石、円筒埴輪の残存状況

造出し部の円筒埴輪列

帆船が線刻された埴輪片


塚穴古墳群

 旧加茂町南加茂台六丁目の塚穴公園内に保存されています。1号墳は一辺25mの方墳で、主体部の横穴式石室は玄室サイズ3.5m×2.2m、羨道は1.2m以上×1.3mの両袖式で、現在は埋め戻されています。2号墳は1号墳の南30mにある径15mの円墳で、横穴式石室の石材が墳頂に露出しています。

1号墳墳丘

1号墳石室実測図

2号墳

2号墳の露出した石材


井手塚古墳

 旧加茂町尻枝、南加茂台10丁目の住宅地の東側の造成斜面下にあります。径12mの円墳で、南向きに完存する横穴式石室が開口、全長9.4m、玄室長4.8m、幅1.6m、羨道幅1.2mの右片袖式で、床面が半分くらい埋まっていそうです。石材はあまり加工せず、天井以外は小ぶりな石材を使用しています。さて、ここは日本三大二度と入りたくない石室の一つです。埋まった床面はヘドロ状態。そんな羨道を這って進まねばならないため、泣きそうになります。そして玄室内はヘドロの強烈な悪臭が充満しており、早々に退散しました。

ほぼ完存する墳丘

羨道奧から

玄室奥壁

奧から


前椚古墳群

 旧加茂町尻枝、井手塚古墳の東側の谷間を挟んで向かいの丘陵上に前椚古墳群5基があります。府道柳生木津線を南に向かい、道が登りにさしかかったあたりで左に登山道が分岐しています。その分岐点に1号墳があります。径10mの円墳ですが墳丘がかなり破壊されていて、石室の石材が一部露出しています。

1号墳墳丘

石材が露出

 登山道を100mほど登ると、右側の丘陵上に3号墳があります。径18mの円墳で、横穴式石室の天井石が露出しています。一部天井が開口していますが、内部はかなり埋まっています。玄室サイズ3.1m×1.4mです。北西50mには4号墳があり、崩壊した石室が露出しています。径18mの円墳で、玄室幅1.2mです。

3号墳

3号墳石室内部

4号墳

 3号墳に戻って、西へ50mの丘陵先端部に2号墳があります。府道のすぐ上です。径19mの円墳で、外護列石があります。横穴式石室は入口以外は保存が良く、全長10.7m、玄室長5.1m、幅1.4m、高さ2m、羨道長5.6m、羨道幅1.2m、高さ2mのわずかに両袖式で、玄門部は天井石が一段下がります。2号墳のそばに5号墳があるはずですが、薮に覆われてわかりませんでした。

2号墳石室正面

羨道、玄門で天井が一段下がる

玄室奥壁

玄室奧から


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