京都府木津川市(旧山城町)の古墳


上狛天竺堂1号墳

 旧山城町上狛天竺堂の高齢者総合福祉施設「山城ぬくもりの里」建設予定地内で発見され、2001年に施設建設に伴い調査されました。全長27m、後円部径23mの前方後円墳で、前方部上には形象埴輪が並べられていました。主体部は横穴式石室で、玄室長3.6m、幅1.7mの右片袖式。内部の木棺からはガラス玉3000点、銅鏡などが出土、その内容から被葬者は女性の可能性があります。石室内の須恵器から五世紀末の築造と考えられ、二回の埋葬が行われています。畿内でも最古級の横穴式石室で、石室は現在、敷地内に移設保存されています。

正面から、木棺の位置を表示

奧から

椿井大塚山古墳 【管理人推薦】

 国史跡。旧山城町椿井の集落内にあります。全長175m、後円部径110mの前方後円墳で、後円部は四段築成、前方部はバチ形に開き、箸墓古墳とほぼ相似形をしています。出土した土器から三世紀後半の築造と考えられます。1953年にJR奈良線の工事で後円部から6.9m×1.2m×3mの竪穴式石室が発見され、36面の銅鏡を初め、多数の副葬品が発見されたことで有名です。古墳は現在、前方部には民家が建ち、後円部は線路で分断されていて、全体像を地上からつかむのは困難な状態です。竪穴式石室の天井石が現在山城中学校の校門脇に保存されています。

後円部

後円部裾、葺石が綺麗に残っていた

丘尾切断された後円部

竪穴式石室の天井石

椿井天上山古墳

 旧山城町椿井、椿井大塚山古墳の南隣の尾根上にあり、弥生時代の高地性集落跡の上に築造された後円部径80mほどの前方後円墳と推定されますが、中世に砦に改変され、昭和時代にJR奈良線に墳丘が分断されたため、原型を留めていません。出土した埴輪からは四世紀中頃の年代が与えられ、年代的には大塚山からはかなり離れています。竪穴式石室の天井石と考えられる巨石が近くの光明寺にあります。

線路に分断された墳丘

光明寺にある巨石

松尾1号墳

 旧山城町椿井、椿井天上山古墳から東の丘陵を登っていくと、松尾神社があります。その鳥居前の参道石段の東側に松尾1号墳の石材が散乱しています。ところで、この松尾神社は奈良の春日大社から江戸時代に移築された国重要文化財の本殿や、鎌倉時代の日本最古の土塀などが残るなかなかの神社なのですが、隣りになんとラジコンカーのサーキットがあり、休日には爆音がやかましく、折角の雰囲気が台無しです。

 

宮城谷古墳群

 旧山城町椿井、松尾神社から200m東の二つの尾根筋に宮城谷古墳群があります。うち、北側の竹林内に1、2、6〜10号墳があります。西の丘陵先端から順に(以下古墳名称は推定)10、9号墳はともに奥壁付近が残存。2号墳は奥壁が露出、1号墳は奥壁付近の石材が少し露出、2.8m×1.55mの規模です。8号墳は側壁が一部露出しています。

宮城谷10号墳

宮城谷9号墳

宮城谷2号墳

宮城谷1号墳

宮城谷8号墳

平尾城山古墳

 旧山城町平尾、椿井大塚山古墳の北700m、JR奈良線の踏切を東へ渡ってすぐ、稲荷神社(稲荷山古墳)への登り道があり、山頂の稲荷神社を過ぎて、さらに奧の竹林の中にあります。全長110m、後円部径70mの前方後円墳で、主体部は竪穴式石室です。現在は後円部の中心部が大きく削られていて、石室材と思われる板石が散乱しています。四世紀中頃の築造で、椿井大塚山古墳の次世代の首長墓と考えられています。

後円部、主体部付近は崩壊

石室材が散乱している。箸墓の石材にそっくり

稲荷山古墳

 旧山城町平尾、上記の平尾城山古墳へ向かう途中にあり、墳丘上に稲荷社が建てられています。径30mの円墳で、詳細は不明ですが、四世紀後半の築造と考えられ、城山古墳に続く首長墓ですが、ここを最後に首長墓の系譜は木津川西岸に移っていきます。

 

北谷横穴群

 旧山城町平尾、上記の稲荷山古墳への登り道のすぐ東側の崖面にあり、道路に面して開口しています。2基の横穴があり、左の1号墓は奥壁部だけが残存。右の2号墓はほぼ完存しており、全長4.5m、玄室長3m、幅3.1m、高さ1.7m、羨道幅1.1mで完全なドーム状をしています。

左の笹のところが1号墓、中央に2号墓

2号墓内部

稲葉5号墳

 旧山城町神童子、山奥の神童子の集落から北へ500m、1999年に新しい農道の建設時に調査され、状態が良かったため、調査後、農道の法面の上に現地保存されました。径8mの円墳で、横穴式石室は全長5m、幅1.1m、床面に1.75m×0.4mの箱式石棺があり、後に石棺の上面まで埋められた上に追葬されたようです。最初の築造は七世紀中頃で、この地域では最後の古墳と思われます。

石室正面から

玄室奥壁、石棺は埋められている

 

法面中央の茂みの中に古墳があります

(見えませんがそこだけ擁壁が開いています)

車谷古墳群

 旧山城町綺田、国宝の釈迦如来像で著名な蟹満寺から東の山中へ1kmほど入っていった一帯にあり、中期から後期にかけて築かれた40基ほどからなります。2002年の調査では、横穴式石室の石材の採掘跡も発見されています。

竹林中の露出した石室

露出した石室

 

崖っぷちに石室の断面が露出!

石室材の露頭


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