熊本県菊鹿町・鞠智城跡

4棟の平安期の建物跡を発見


●熊本県菊鹿町 鞠智城跡

●2002年9月1日現地説明会/熊本県教育委員会

 鞠智城は7世紀後半に白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗北した大和朝廷が北部九州や瀬戸内海沿岸の各地に築いた城の一つで、最前線の金田城、大野城、基肄城に対して後方の兵站を担っていたと考えられています。その後も行政府として存続し、9世紀後半には廃城となったようです。現在は歴史公園として整備され、発掘調査も継続して続けられています。今回は長者山西側の昭和42年に開墾された場所で奇跡的に4棟の建物跡遺構を検出できました。

整備された復元建物群(左は米倉、右は鼓楼)

72号礎石建物跡、焼けた痕跡有り

72号建物跡の炭化米層

周辺には多数の礎石群が露出している


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