福岡県北九州市東部(小倉南区東部)の古墳


荒神森古墳

 北九州市小倉南区中曽根三丁目1(地図1)にあり、墳丘上に荒神社が建てられています。全長68m、後円部径41m、前方部幅41mの前方後円墳で、調査により周溝、周庭帯が見つかっています。出土した埴輪、須恵器から六世紀中頃の築造と思われ、今は市街地の中ですが、かつては周防灘を望む砂丘上に築かれていました。元、周辺に3基の陪塚がありましたが、すべて消滅しています。

前方部側

墳丘実測図


茶毘志山古墳

 市史跡。北九州市小倉南区東貫二丁目15(地図4)、国道10号線沿いの中古車屋の裏にあります。全長54m、後円部径30mの五世紀後半の前方後円墳ですが、前方部は削られ、家が建っています。家の建設時に 石室の石材が露出し、主体部は古式の横穴式石室と思われます。


上ん山古墳

 市史跡。北九州市小倉南区東貫二丁目13(地図5)、茶毘志山古墳の100m東に有ります。全長51m、後円部径30m、前方部幅31mの前方後円墳で、ほとんど盛り土で築かれています。円筒埴輪片が出土し、茶毘志山に次ぐ六世紀前半の築造と思われます。


両岡様古墳群

 北九州市小倉南区貫(地図7)、荘八幡神社の東の貫川沿いの田圃の中にあり、前方後円墳1、円墳1基からなります。前方後円墳は全長27mで、六世紀後半の築造、東のくびれ部に円墳が接しています。

 


下貫石棺群

 北九州市小倉南区貫、両岡様古墳群の東の丘陵上には古墳3基、石棺3基が残っていますが、見学しやすいのは貫東公園(ゲートボール場)のすぐそばの切通しに露出した箱式石棺です。崖に小さな石棺が口を開けていて、すぐ下には石材の一部が落下しています。内部には朱の痕跡が残っています。

切り通しに露出

石棺内部、朱が塗られている


御座古墳群

 北九州市小倉南区貫2310(地図10)、弥生ヶ丘団地内の貫中央公園に隣接した山林の中に現状保存されています。全長23mの前方後円墳と円墳3基が丘陵尾根上に並んでいて、前方後円墳は最高所に位置しますが、実測図ではかなり墳丘は崩れています。円墳は比較的マウンドが残っています。

最高所に前方後円墳がある

西端の円墳

第2の円墳

この辺が前方後円墳か?よくわかりません


山田東古墳

 北九州市小倉南区朽網西三丁目、日豊ニュータウンの北西端に小さな丘陵があり、その上の墓地の中にあります。国道10号線朽網小学校入口交差点の南西200mです。墳丘はまったく無く、小型の横穴式石室が完全に露出しています。全長3m、幅1.5m、高さ1mくらいで、天井石以外は小さな石材を使用しています。腰石が見えているので、床はあまり埋まっていないと思われます。

石室が露出

石室内部


上長野石棺群

 北九州市小倉南区長野の護念寺境内に2基の箱式石棺が残されています。駐車場から石段を上り、境内から左へ進むと、竹林の前に説明板があり、その後ろに1基露出しています。手前側の石材が失われていますが、ほぼ原型を保っているようです。ここから下の道路側を見ると崖の途中にもう1基露出しています。石棺の下側が崩れないようにコンクリートで補強されているのが興冷めですが、内部には朱色が鮮やかに残っています。この石棺には一旦、駐車場に戻って、崖の下側から接近したほうが近くに見ることができます。

仮称1号石棺、肉厚である。

仮称2号石棺、朱色が鮮やか


下長野古墳群

 北九州市小倉南区長野本町、小倉セントラル病院の一つ東の農道を行くと行き止まりの畑の向こうに竹林があり、その中に1号墳があります。竹林の手前には消滅した2号墳の石材が置かれています。1号墳は径8mの円墳で、横穴式石室が開口。全長5mの複室構造で、後室は2m×2m×1.9mのほぼ正方形プラン、前室はほとんど残って居ませんが、1.2m×1.5mほどの規模です。腰石や天井に巨石を使用しています。

2号墳の石材

2号墳の石材

1号墳前室の袖石

1号墳後室の玄門

1号墳後室奥壁

1号墳後室左袖石


山崎大塚古墳

 北九州市小倉南区横代東町二丁目、小倉セントラル病院前の道を北へ約1km、下り坂の所に墓地があり、その南側にあります。丘陵先端に築かれた径10mほどの円墳で、横穴式石室が露出しています。羨道は失われ、玄室は長さ3m、幅1.5mほどで、内部はほとんど埋まり、天井石が一枚しか残って居ません。

墳丘

横穴式石室


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