単独墳を掘ると群集墳でした


■京都府井手町井手大塚「北大塚古墳」

 2017年5月20日 現地説明会/公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター

 北大塚古墳は京都府遺跡地図では単独墳となっていますが、「かつて古墳数基あり」と注記されています。今回、特別視支援学校建設予定地となったため、周辺が調査され、合計4基の横穴式石室墳を検出し、群集墳であることが確認できました。最高所にある1号墳は径15mほどの円墳で墳丘は半分しか残っておらず、横穴式石室も石材がほとんど抜かれていました。推定石室規模は玄室長4.3m、幅1.8m、羨道長2.5m、幅1.1m、六世紀後半の築造で、江戸時代以降に破壊されたようです。南側斜面にある2号墳は墳丘はまったく残っていませんでしたが、推定径15mの円墳で、横穴式石室は奥壁と側壁の一部が残っていました。玄室長3.5m、幅1.7m、羨道長3.4m以上、幅1mの右片袖式で、鎌倉時代に再利用され、その後破壊されたようです。1号墳とほぼ同時期の築造です。東の方に小円墳の3、4号墳が近接しています。ともに墳丘は失われ、3号墳は石材2個だけが残っていました。玄室長3m、幅1mほどと思われます。4号墳は左右側壁の基底部が残っていました。玄室長3.8m、幅0.95mの大きさで七世紀前半の築造と思われます。

1号墳、わずかに石材残存

2号墳、横穴式石室の奥壁付近が残る

3号墳、石室材二個残る

4号墳、側壁の基底部のみ


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