湖南市(旧甲西町・石部町)の古墳
旧甲西町正福寺、正福寺の東700mに岩瀬神社があり、社殿東側の林の中に分布する17基からなる古墳群です。山裾先端にあるA1号墳は保存状態が最も良く、墳丘は前側が崩壊していますが、大型の石室が開口しています。玄室長4m、幅2m、高さ2.5m、羨道が崩壊していて袖部は埋まっています。
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A1号墳の北100mにA2号墳があります。墳丘はかなり低くなっていますが、横穴式石室は良く残っています。現存長3m、玄室長2.1m、幅1.6m、高さ1.6m以上、羨道幅0.9mの左片袖式で、割石を積んだ小型の石室です。
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2012年に新設の砂防堰堤建設に伴う調査で、C支群2基、D支群4基の古墳が調査されました。すべて横穴式石室を主体部とします。麓の岩瀬神社から約300m渓谷を遡った斜面にあるC支群では、すでに確認されていた1号墳の他に新規に2号墳が発見されました。石室はすでに左側壁と天井が崩落し、半壊状態でした。全長4.2m以上、玄室長3.2m、幅1.6m、六世紀後半の築造です。石室の前は崖っぷちで、おそらく近い内に消滅するでしょう。
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C支群のさらに奧にあるD支群では4基の横穴式石室が調査されました。D1号墳は径15mの円墳と思われ、石室は全長7.6m、玄室長3.45m、幅1.9m、高さ2.2m、羨道長3.85m、幅1.3m、高さ1.55mの左片袖式で、須恵器、鉄刀、銀象嵌鍔、鉄鏃が出土。六世紀後半の築造です。
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D2号墳の石室は全長5.6m、玄室長3m、幅1.75m、高さ2.3m、羨道長2.4m、幅1.2mの両袖式で、須恵器、鉄器、ガラス小玉が出土。六世紀後半の築造です。D3号墳は全長3.45m、玄室長1.85m、幅1.2m、高さ1.7m、羨道長1.45m、幅0.8mの左片袖式で六世紀後半の築造です。D4号墳は全長1.98m、玄室長1.32m、幅0.8m、羨道長0.3m以上、幅0.64mの左片袖式でかなり小さく、六世紀前半の築造です。D支群の石室には中世の土器類も出土しており、付近一帯が中世には石切場となっていたと思われます。
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旧甲西町正福寺、正福寺境内東側にあります。径30mの大型円墳ですが、中世に城郭として利用されたため、周囲に深い堀を掘られるなど、墳丘はかなり改変されています。横穴式石室は全長9m、玄室長5.3m、幅2.6m、高さ2.6m、羨道長3.6m、幅1.6m、高さ1.2m以上の左片袖式です。奥壁や側壁、天井には大型の石材を使用し、各壁はほとんど垂直に立ち上がっています。前壁の上部の石材がぬかれ、羨道がやや破壊されていますが、周辺では群を抜く巨石墳です。
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旧甲西町岩根の岩根東口バス停西の田圃の真ん中にあります。平地に存在する横穴式石室墳ですが、圃場整備により墳丘が削平されました。現在、石室石材の一部が道路を曲げて保存されていますが、現状はゴミ焼き場と化しています。
■六反古墳
旧石部町西寺、中日本高速道路・緑化技術センターの敷地内にあります。敷地の奥のわかりにくい場所にありますので、管理事務所で場所を尋ねてください。径15m以上の円墳で、横穴式石室の天井石が露出しています。全長6.4m、玄室幅1.8m、高さ1.8mの両袖式ですが、袖部はほとんどありません。「滋賀県遺跡地図」や「古代近江の遺跡」の地図では、全然間違った位置を記しているため、探すのにかなり苦労しました。石室は平成七年兵庫県南部地震で石材が一部崩れたために、現在立入禁止です。
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