巨勢谷の古墳


市尾墓山古墳(17-A-326)

 国史跡。高取町市尾、西面する墳丘長66mの前方後円墳で、二段築成、南側くびれ部に造り出しがあります。周囲には幅6〜10mの周濠が巡り、その外側を外堤が取り巻いています。後円部に古式の横穴式石室が完存していて、全長9.45m、玄室長5.9m、幅2.45m、高さ3m、羨道長3.5m、幅1.8m、高さ1.7mの右片袖式です。奥壁にも出入口があり、閉塞石で埋められていました。石室は整地した上に基礎石を設置し、その上に粘土で床面を築いています。石室内には凝灰岩のくり抜き式家形石棺が盗掘穴以外は完全に残ってて、長さ2.61m、幅1.27m、高さ1.39mで、内部は朱で全面彩色されていました。縄掛突起の形態は古い様相を示しています。

 

後円部の石室正面、テラスに開口

石室開口部、墳丘断面に黒い土嚢の跡が見える

石室内部、家形石棺は奈良県最大級

石棺内部、朱で真っ赤です

市尾宮塚古墳(17-A-327)

 国史跡。高取町市尾、市尾墓山古墳の南西すぐ、天満神社境内の林の中にある全長44mの前方後円墳です。後円部に横穴式石室が北向きに開口、全長11.6m、玄室長6.2m、幅2.5m、高さ3m、羨道長5.4m、幅1.5m、高さ1.8mの両袖式です。床面には礫が敷き詰められ、Y字型の排水溝が検出されています。玄室中央奥寄りに二上山凝灰岩製のくり抜き式家形石棺が残っていました。かなり破壊されていましたが、長さ1.9m、幅1.2m、高さ0.65mの寸法で、縄掛突起の形状は墓山古墳の石棺よりは新しい形態です。現在は破片をつないで復元されています。また、石棺の前には木棺が追葬されていたようです。出土した須恵器の形態から六世紀中頃の築造と見られ、金銅製杏葉、金銅鈴、水晶製の三輪環、銀製魚形歩揺など当時としてはトップクラスの副葬品が見つかっています。

調査前の石室正面

調査後の様子

床面の排水溝が検出された玄室

玄門部

調査後、復元された石棺

水泥塚穴古墳(16-D-311)

 国史跡。御所市古瀬、民家裏庭にあり、見学には所有者の許可が必要です。墳丘前側をかなり削られているので、規模は不明ですが、径20mくらいの円墳と思われます。全長13.4m、玄室長5.6m、幅3m、高さ3.45m、羨道長7.6mの背の高い両袖式で、かつて石室の床面から排水用の土管が出土しました。6世紀後半ころの築造です。

水泥蓮華文(南)古墳(16-D-312)

 国史跡。御所市古瀬、水泥塚穴古墳の南80mにある径20mくらいの円墳です。全長10.8m、玄室長4.6m、幅2m、高さ2.2m、羨道長6.2m、幅1.5mの両袖式で、巨大なくり抜き式家形石棺が2基納められています。前側の石棺の前後の縄掛突起に蓮華文の浮彫があります。7世紀前半の築造と見られますが、前側石棺は7世紀半ば頃の追葬です。

調査前の羨道と前側石棺、床面がかなり埋まっています

調査後、床面に排水溝が検出されています

玄室

玄門


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