熊本県熊本市北区植木町の古墳
熊本市北区植木町荻迫、JR植木駅の北西300mの台地上にあります。畑の中に墳丘を失った古墳がかろうじて残っています。横穴式石室の天井石、側壁と思われる石材が露出しています。
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熊本市北区植木町石川塚前、九州自動車道のすぐ東にある独立丘陵の石川山に9基の古墳が残されています。北東の尾根上に1〜3号墳、東の麓近くに4、5号墳、南の先端部に6〜8号墳が分布します。北端の尾根先端にある1号墳は径9mの小さな円墳で、中央部が陥没しています。石棺の破片が見つかっています。すぐ南西の頂上にある2号墳は全長34m、後円部径22mの小さな前方後円墳で、帆立貝式に近い形状です。
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すぐ南西の尾根の鞍部に3号墳があります。径28mの円墳で、主体部は横穴式石室です。全長6.9m、後室長2.96m、幅2.21m、高さ2.64m、前室長1.65m、幅1.7m、高さ1.8mの複室構造で、奥壁に沿って、石棚が架かっていますが、石屋形の屋根的な性格なのかも知れません。残念ながら、石室入口は狭く、後室開口部は高いため、脚立がないと入室は困難です。
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東側の麓近くにある4号墳【装飾古墳】は径22mの円墳で、大型の横穴式石室が南に開口。全長10.6m、後室長3.1m、幅2.53m、高さ3.8m、前室長1.12m、幅2.33m、羨道長5.2mの複室構造で、後室奥壁に巨大な石屋形を作り付けています。羨道の前の方はハの字に広がっています。羨道に巨大な天井石が割れて落下していますが、現状で羨道部の天井石はこの石材しか残って居ません。前後の玄門には袖石上部に切り込みがあり、何かの部材をはめ込んでいたと思われます。落下した天井石の裏面と側面には線刻画が残っています。自由画風で林の中の家を表現しているとされていますが、天井石に描かれる題材としては疑問があります。他にも重三角紋のような紋様があります。
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4号墳のすぐ南に5号墳が見えています。径16mの円墳で、横穴式石室が南に開口、天井部も一部開口しています。全長5.27m、玄室長2.4m、幅2.2m、高さ2.4m、羨道幅0.8m、極端に羨道の幅が狭い両袖式です。奧・右側壁は大きな腰石の上に割石をドーム状に小口積みし、床面はコの字に仕切って屍床を3基設けていますが、現在は、埋もれてしまっています。
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5号墳から林の中を南へ進むと、尾根の南端部に6〜9号墳が並んでいますがいずれも低いマウンドが残っている程度です。特に9号墳はほとんどマウンドすらありません。最も下の6号墳は主体部は小型の左片袖式横穴式石室です。7号墳は中央が陥没していて、主体部は不明ですが、いくつか石材が見つかっています。8号墳も中央が陥没していますが主体部は不明です。9号墳は現状でほとんどマウンドもわからない状態ですが、家形石棺の破片が見つかっています。
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熊本市北区植木町岩野、県道329号線から鬼のいわや古墳へ向かう道の分岐路そばにあります。九建運送の隣です。全長40m、後円部径14mの前方後円墳で、後円部は一部削られています。未調査のため、詳細は不明です。
熊本市北区植木町小野横山、上記の県道329号線から九建運送横の分岐路を祈願合格神社へ向かい、神社からすぐ東の斜面にあります。径20mの円墳で、南に大型の横穴式石室が開口しています。全長9.6m、後室長3.58m、幅2.67m、高さ3.77mの複室構造で、後室には巨大な石屋形が造られています。石屋形の奧壁の一部に赤色顔料が残っていますが文字や紋様のようにも見えます。
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熊本市北区植木町小野横山に存在した装飾古墳ですが、九州自動車道の工事のため調査後破壊され、現在は横穴式石室が「肥後古代の森鹿央地区」内に移築され、墳丘も復元されています。発見から移築公開されるまで25年かかりました。全長38.5m、後円部径29mの前方後円墳で、横穴式石室は全長9.8m、玄室長3.8m、幅3.8m、羨道幅1.1m、非常に細長い羨道の先にある玄室では、奥壁の前に独立した石屋形を設け、左右側壁前にもそれぞれ屍床を作り付けています。玄室上半分はすでに失われていました。装飾は石屋形の左右袖石の前面にあります。右袖石には双脚輪状紋、連続三角紋、左袖石には同心円紋、双脚輪状紋、三角紋がそれぞれ赤、青、白色の顔料で描かれています。また、石屋形の軒縁や石障、屍床の仕切石にも三角紋が描かれていますが、現状ではほとんど確認できません。他の一部の石材にも赤色顔料が認められます。
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熊本市北区植木町岩野2950-1、植木カントリークラブ東側を南北に走る市道岩野大井線下側の崖面に開口しています。2001年に道路拡幅工事で20基のうち、4〜12号横穴墓が調査された結果、未開口の8号墓の玄室から装飾が発見されました。玄室は長さ2.8m、幅3m、高さ2mの大きさで、屍床が3基、コの字形に造られています。左右側壁と前壁は赤く塗られ、奥壁には赤白青の三色で連続三角紋が上下二段に描かれていました。連続三角紋は中央の黄褐色土帯を挟んで左右に分かれており、左右で三角形の形や配色が違い、向かって左側のみ円紋が見られるので、左右を別人が描いたと考えられます。チブサン古墳よりも古い六世紀前半の築造で、三色以上の色を用いた彩色横穴の初例とされる貴重な装飾横穴墓です。横穴群はシートで覆われ、ずっと見学できないままです。