京都府京都市左京区・東山区・山科区・伏見区の古墳


吉田二本松町遺跡 2011年8月5日 現地説明会/京都大学文化財総合研究センター

 京都市左京区吉田二本松町の京都大学吉田南キャンパス内の国際人材育成拠点施設用地の調査で見つかった五世紀後半の方墳です。墳丘はほとんど削平され、周溝の痕跡だけが残っていました。東西10m以上、南北15mほどの大きさと推定されます。須恵器、円筒埴輪、形象埴輪(人物、馬など)が出土。山城東北部では形象埴輪の出土は珍しく、吉田二本松遺跡では初めての例になります。

中世までに大きく破壊された墳丘

出土した馬形埴輪


六波羅蜜寺石棺

 京都市東山区松原通大和大路東入二丁目、教科書に必ず出てくる空也上人像で有名な西国第十七番六波羅蜜寺境内にあります。本堂の横に鎌倉時代の石塔があり、その台石として、組合せ式家形石棺の蓋石が転用されています。竜山石製で、小さな縄掛突起も認められます。


将軍塚古墳群

 京都市東山区粟田口粟田山南町、東山の山頂にある青蓮院門跡大日堂の敷地内に1〜3号墳、敷地の南側の山林内に4〜14号墳があります。3号墳は古くから将軍塚と呼ばれ、平安京造営に際し、桓武天皇が往生鎮護のために将軍の像を埋めた塚と伝えられていますが、元々は径40mの中期の大型円墳と思われます。1号墳は庭園内にあり、箱式石棺が出土。2号墳は大日堂の中にあり、主体部は竪穴式石室です。4号墳以降は大日堂南側の山林内に低い墳丘が固まって残されています。

3号墳(将軍塚)

3号墳(将軍塚)、展望台の上から

1号墳?

敷地南側の墳丘


山科御廟野古墳 【陵墓】

 京都市山科区御陵上御廟野町52にあり、天智天皇陵として宮内庁の管理下にあります。三条通りに入口が面していますが、そこから参道が約500m、延々と続いています。上円下方墳ですが、上段は径41mの円に近い八角形で、下方部は二段築成で中段が一辺45m、下段は一辺64mで南側のみ築かれています。墳頂と裾に列石が巡り、斜面には葺石が認められます。主体部は不明ですが、立地や文献資料などから、被葬者は天智天皇とみて、まず間違い有りません。

 


中臣群集墳・稲荷塚(折上神社)古墳 【市史跡】

 京都市山科区西野山中臣町の折上神社境内にあります。周辺にはかつて13基からなる中臣群集墳(十三塚)が存在しましたが、現存するのは、この稲荷塚と宮道古墳の2基だけです。径18m、高さ3mの円墳ですが、墳丘自体が稲荷神社になっているために、かなり改変されています。


宮道古墳

 京都市山科区勧修寺西栗栖野町、勧修小学校の西150mの住宅街の一画にあります。径26mの円墳で、主体部は不明ですが、中臣十三塚の一つで、後期の古墳と思われます。宮道朝臣列子墓と伝えられています。勧修小学校の北隣りにある将軍塚は坂上田村麻呂の墓として史跡公園となっていますが、実際の坂上田村麻呂墓は川田梅ヶ谷町の西野山古墓と考えられています。

宮道古墳

将軍塚(坂上田村麻呂墓)


旭山古墳群

 京都市山科区花山旭山町、京都市中央斎場から東山浄苑にかけての山中に分布する5支群28基からなる古墳群で、斎場の建設により、CDE支群が消滅しましたが、横穴式石室1、小石室1基が駐車場横の緑地に移築保存されています。説明板には何号墳か書かれていませんが、おそらくC3号墳か5号墳のどちらかで、ともに一辺6mの方墳で、石室サイズは3.4m×0.8mになります。駐車場の後ろの森の中にA、B支群が現状保存されているはずですが、フェンスに阻まれて行くことはできません。ところで、古墳群の説明板の内容が意味不明であることを記しておきます。

駐車場横の緑地に移築保存

C3号墳?の横穴式石室

小石室

C支群は駐車場化。背後の森にAB支群が現状保存


醍醐古墳群

 京都市伏見区醍醐内ヶ井戸、老人ホーム醍醐の里の裏にあります。元々は大きな円墳1基と小さな方墳19基からなる群集墳でしたが、学校のグラウンド造成に伴い、すべて消滅し、現在は醍醐耳塚(1号墳)の石碑と移築された16号墳の小石室だけがグラウンドの北に保存されています。1号墳は径25mの最大の円墳で、横穴式石室を2基持つ双室墳でした。墳丘が削られ、耳の形をしていたことから昔から耳塚の名で親しまれ、耳の病気に御利益があると信仰を集めていました。醍醐耳塚の石碑が現在地に移されています。石室は玄室が3.7m×1.7mの両袖式と、3.5m×1.1mの無袖式で、六世紀末に最初に築かれました。隣にある16号墳は2.1m×0.7mの小石室を持つ方墳です。方墳群はすべて七世紀前半の築造です。

元の分布図

左に醍醐耳塚、右に移築された16号墳石室

醍醐耳塚の石碑

16号墳石室


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